ほうきょうじ|臨済宗|西山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後に神社お寺を残せる未来へ
御朱印・御朱印帳
御朱印・御朱印帳をもっと見る|巡礼
京都府のおすすめ❄️
おすすめの投稿

宝鏡寺様へと向かいました。
宝鏡寺様の宗派は臨済宗単立の尼門跡です。
御本尊は聖観世音菩薩をお祀りされています。
宝鏡寺様は中世京洛に栄えた尼五山の一つであった
「景愛寺」の法灯を受け継がれているお寺様です。
1370年頃に光厳天皇の皇女である華林宮惠厳が
伊勢の二見浦で漁網にかかった小さな円鏡を手にした
聖観世音菩薩を「景愛寺」の子院である「建福寺」に
安置したことが始まりとされています。
百々御所(ドドノゴショ)の御所号をもたれています。
孝明天皇遺愛の人形や多くの人形を所蔵されていて
「人形の寺」として有名も有名です。
特別公開の時期ではなかったので拝観は
叶いませんでした。
人形供養で来られている方が思っているより多くて
受付の方は忙しくされていました。






慈受院門跡のお隣というか裏手にあります。
大きな山門は閉じられていたのですが 横の戸が開いていたので 失礼いたしまして境内に入らせていただきました。
正面にある建物はおそらく書院だと思うのですが もちろん入れませんし 右手にはおそらくお庭につながる門があるのですが こちらも閉じられていました。
左手には人形の碑がありました。こちらは人形で有名な寺院です。
山号は西山 宗旨は臨済宗単立 ご本尊は聖観音菩薩 創建年は応安年間(1368年‐1375年) 開山華林宮惠厳 別称は百々御所・人形寺です。
由緒については
尼五山第一位の景愛寺の第6世であった光厳天皇皇女の華林宮惠厳(かりんのみやえごん)が 応安年間(1368年 - 1375年)に御所で祀られていた伊勢国二見浦にて漁網に掛かって引き上げられた手に小さな円鏡を持った聖観世音菩薩を下賜され 景愛寺子院の建福寺に安置した。
惠厳は本尊の由緒から採られた「宝鏡寺」の名前を後光厳天皇より賜ると 寺名を改めたうえ新たな寺院として開山となった これが当寺の始まりである。
足利義満の時代 東側には小川と百々橋を挟んで 義満母の紀良子と義満実弟の満詮の別宅・小川殿があった。
応仁の乱の際には細川勝元の別宅となっており 戦禍から後土御門天皇 足利義政室の日野富子が避難しに来ている。
後に明応の政変で御殿は焼かれてしまい 跡地は宝鏡寺に取り込まれた。
とありました。

山門は閉じられていますが

石柱

由緒書

山門入ってすぐ

人形碑

書院入口

お庭へは行けません

山門裏手

小川御所の石柱

こちらも御所だったのですね
| 名称 | 宝鏡寺 |
|---|---|
| 読み方 | ほうきょうじ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-451-1550 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
| 神仏霊場巡拝の道 |
|---|
詳細情報
| ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 西山 |
| 宗旨・宗派 | 臨済宗 |
| 体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ






























5
0