ほうせんいん
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楽しみ方宝泉院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月17日(水) 19時09分18秒
参拝:2025年9月吉日
京都市左京区の寺院巡りの4寺目は、大原勝林院町に在る魚山 宝泉院です。
3寺目の勝林院の塔頭。勝林院の左奥に在ります。
天台宗で、本尊は阿弥陀如来。
今回の寺院巡りの最後となります。
額縁庭園・血天井・水琴窟で有名な寺院。昨年、妻が高校時代の同級生と来ておりますのでおいらもという訳ではありませんが、仏像目当てでなくお邪魔してみました。
嘉禎年間(1235~8年)に宗快法印により創建。当初は了性坊と呼ばれていたが、1716年に宝泉院と改められた。書院は江戸時代に再建されたもので、廊下の天井は伏見城の戦いの際、徳川家の家臣・鳥居元忠以下数百名が自刃した伏見城の床板であり、その霊を供養するため天井板にしたもので「血天井」と言われます。
山門横に拝観受付がありますので拝観料(お抹茶とお菓子付きで900円)を納めて御朱印をお願いしました。山門をくぐると正面に法然上人 衣掛けの石、右は玄関へ、左は宝楽園へ。先ず宝楽園へ行きました。この庭は2005年に出来た新しい庭です。一通り見てから玄関から入らせて頂きました。小部屋に囲炉裏があって奥に鹿野園、いいですね。中庭があり、別の小部屋もあり、きれいです。最奥に書院、仏間と有名な額縁庭園・血天井・水琴窟がありました。
残暑が残る平日の暑い日だったからか先客は2組4名と空いていました。適当に座って庭を眺めていたらお抹茶とお菓子を出して頂き、景色と相まってとても美味しく頂けました。確かに額縁庭園でした。水琴窟もいい音色でした。血天井は何処に跡が残っているのかわからず、給仕の方にお聞きしました。まあ、言われてみればという感じですね。(過去に東山区の三十三間堂の向かいにある養源院へ行きましたが、俵屋宗達の襖絵の他に血天井が有名ですが同じような感じでした。)
最後に預けておいた御朱印帳を受取り、駐車場へ戻って帰路に着きました。
3寺目の勝林院の塔頭。勝林院の左奥に在ります。
天台宗で、本尊は阿弥陀如来。
今回の寺院巡りの最後となります。
額縁庭園・血天井・水琴窟で有名な寺院。昨年、妻が高校時代の同級生と来ておりますのでおいらもという訳ではありませんが、仏像目当てでなくお邪魔してみました。
嘉禎年間(1235~8年)に宗快法印により創建。当初は了性坊と呼ばれていたが、1716年に宝泉院と改められた。書院は江戸時代に再建されたもので、廊下の天井は伏見城の戦いの際、徳川家の家臣・鳥居元忠以下数百名が自刃した伏見城の床板であり、その霊を供養するため天井板にしたもので「血天井」と言われます。
山門横に拝観受付がありますので拝観料(お抹茶とお菓子付きで900円)を納めて御朱印をお願いしました。山門をくぐると正面に法然上人 衣掛けの石、右は玄関へ、左は宝楽園へ。先ず宝楽園へ行きました。この庭は2005年に出来た新しい庭です。一通り見てから玄関から入らせて頂きました。小部屋に囲炉裏があって奥に鹿野園、いいですね。中庭があり、別の小部屋もあり、きれいです。最奥に書院、仏間と有名な額縁庭園・血天井・水琴窟がありました。
残暑が残る平日の暑い日だったからか先客は2組4名と空いていました。適当に座って庭を眺めていたらお抹茶とお菓子を出して頂き、景色と相まってとても美味しく頂けました。確かに額縁庭園でした。水琴窟もいい音色でした。血天井は何処に跡が残っているのかわからず、給仕の方にお聞きしました。まあ、言われてみればという感じですね。(過去に東山区の三十三間堂の向かいにある養源院へ行きましたが、俵屋宗達の襖絵の他に血天井が有名ですが同じような感じでした。)
最後に預けておいた御朱印帳を受取り、駐車場へ戻って帰路に着きました。
すてき
投稿者のプロフィール

nomuten1388投稿
仏像の造形美に惹かれて、主に寺院に参拝しております。 御朱印収集はしておりませんが、あれば頂戴します。但し、お洒落な、手の込んだ限定御朱印などは余り頂戴しませんので悪しからずです。(限定御朱印は...もっと読む
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