しゅっせいなりじんじゃ
出世稲荷神社のお参りの記録一覧
大原三千院からの帰り道 駐車場から少し歩きました。
まず名前に惹かれました。
まぁ社会的出世とは関係ないと思いながら 由緒はどんなんかなぁぐらいの気持ちでした。
ご祭神は稲倉魂命(うかのみたまのみこと)・猿田彦命(さるたひこのみこと)・天鈿女命(あまのうずめのみこと)・大巳貴命(おおなむちのみこと)・保食命(うけもちのみこと)です。
境内には出世稲荷大神の他にも三石大神が祀られています。
狛犬がちょっと変わった髪型をしていたり 狐さんが網で囲われていたり 他とは少し違っていました。
社殿では ご本尊が開帳されており 天龍図も拝見することができました。
御朱印は (私より)お姉さまが丁寧に書いてくださいました。
書いてくださる方がご高齢だと 何だかそれだけで心が満たされます。
由緒については
天正十五年(1587)年に関白太政大臣 豊臣秀吉公が聚楽第を造営するに際し邸内に日頃より信仰していた稲荷神社を勧請しました。
翌年 後陽成天皇が聚楽第に行幸し 稲荷社に参拝したときに 立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けたという。
聚楽第取り壊しの後も元の場所に鎮座していたが 寛文3年(1663年)に二条城西方の千本通沿い(千本旧二条付近、京都市上京区千本通竹屋町下ル)に遷座した。
出世開運の神として大名・公家から庶民までの崇敬を受けた。
江戸時代後期には庶民が寄進した300本を超える鳥居が立ち並んでいたという。
近代に入ると千本通界隈が映画興行の街として繁栄したため 牧野省三や尾上松之助が鳥居を寄進した。
2012年(平成24年)6月に京都市上京区より左京区大原に移転した。
とありました。
髪型がかわいい
奥の宮 出世稲荷大神
禄石大神
なが石大神
福石大神
由緒書
水天宮
写真は撮れませんでしたが 雲龍図が見事でした
社殿
天正15年(1587年)豊臣秀吉公が聚楽第を造営する際に邸内社として稲荷神社を勧請したのが始まり。
翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸し稲荷社に参拝した際、秀吉に因んで出世稲荷の号を授けたと伝わる。
社殿・社務所
奥の宮 出世稲荷大神
水天宮
三石大神
禄石大神
壽石大神
福石大神
十月桜
【過去参拝】京都大原への日帰り旅行
出世稲荷神社
御由緒/御神徳
社殿。中には見事な雲龍図があった。
数多くの鳥居
奥の宮に向かって続く鳥居
奥の宮
末社 三石神社。左から、禄石、壽石、福石を祀り、合わせて福禄寿となる。
水天宮
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