いんじょうじ(せんぼんえんまどう)|高野山真言宗|光明山
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引接寺(千本ゑんま堂)の御朱印・御朱印帳
京都府のおすすめ2選🌸
最新の御朱印・御朱印帳の投稿

#引接寺 #千本ゑんま堂
ご本尊はエンマ法王。
#閻魔法王
写真の御朱印の左上に捺されている御姿が、一般的なエンマ王の外見だろう。これは宋の時代の裁判官の服装で、中国で生まれたもの。十二天の仏画に描かれる彼は、非常に穏やかで優しげな表情をしている。作品によってはマラカスを持たせたくなるような、南国的な陽気な印象を受けることさえある。
ヤマが統治するあの世は元々、理想的な楽園と認識されていた。だがインドでも他界観が変化してゆき、どうもヤマは仏教に取り入れられるよりも以前から、陰気な裁き手のイメージへと移り変わっていたらしい。冥府の神ではないが、ローマ神話のサトゥルヌスにも似たところがある。

宝印の種字が
焔摩天の𑖧𑖼なのが面白いですw
千本頭も面白い言い方ですねw
京都に住んでいたときに聞いたこと無かったですが…w
印
宝珠 エン(閻魔王種子)
千本閻魔堂印
墨
本尊閻魔法王
京都千本頭千本ゑんま堂引接寺

まだ小雪舞う肌寒い時期に京都の御朱印巡りをいたしました。 船岡山から南西に10分ほど歩き、通称千本ゑんま堂とも呼ばれる引接寺(いんじょうじ)をお参りです。 現世と冥土を行き来して、地獄の閻魔法王の補佐役として執務したとの伝承が残る、小野篁(おののたかむら)が開基したとされる高野山真言宗のお寺です。 平安遷都まもなく、引接寺のある朱雀大路(現在の千本通り)の北側は、生者と死者の境となる平安京三大墓地の一つとされた蓮台野(れんだいの)と呼ばれていていました。 この時代の平安京内は、官寺としての東寺、西寺があるだけで寺院の移転や建設は一切認められていなかったこともあり、当時の平民を弔らう為の仏式儀式を行う場所は無く、身分の低い平民は埋葬供養されることもなく、至る所に屍が放置されていました。 この状態を憂いた小野篁は十王思想を取り入れ、人間界の裁きを司る閻魔法王像を祀る祠を建立して供養を行い、死者埋葬も行ったのが当寺の始まりであると云います。 寺号の「引接」とは「引導」と同義語で、仏が死者に迷いを去り悟りを開くよう説き聞かせ、浄土に往生させることだそうです。
引接寺・入口
引接寺・由緒書
引接寺・なにやら石像
引接寺・閻魔法王像
引接寺・本堂
引接寺・本堂
引接寺・鐘楼
引接寺・紫式部供養塔と紫式部像
御朱印・閻魔法王
お御籤・青鬼
お御籤・閻魔法王のお裁き
大阪・全興寺で頂いた閻魔様と赤鬼のお御籤と並べてみました
引接寺(千本ゑんま堂)の御朱印・御朱印帳の写真一覧(47枚)
京都府のおすすめ2選🌸
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