ろくおんじ (きんかくじ)|臨済宗相国寺派|北山
鹿苑寺(金閣寺)のお参りの記録一覧(6ページ目)
夏の家族旅行で行きました。とても暑い日でしたが、参拝者も多くなくゆっくり参拝出来たので満足です。
金閣寺入り口のところに掲げられている表札です。
金閣寺境内案内板
総門
金閣寺世界遺産の案内板
金閣寺です、陽の光の中で光輝いています。まさに極楽浄土をこの世にあらわしたらこのような印象になるのでしょう。
頂いた御朱印と参道のツーショット。
入館の時にいただいた説明のパンフレット。
入館の時にいただいたお札。
はじめての金閣寺。あいにくの雨でゆっくり見ることはできませんでしたが、思った以上に金!が素直な感想です。すみません…
五用心(五戒)が入口にありました。考えさせられます。
こんなに閑散としてる金閣寺は初めてでした。
自分含めて三人という観光客より警備員の方が圧倒的に多い現実。おかげで次の人を気にすることなく、ゆっくり散策できました。
金閣寺は、正式名称を鹿苑寺(ろくおんじ)といいます。臨済宗相国寺派の塔頭寺院のひとつで、創設者である足利義満の法号、鹿苑院殿(ろくおんいんどの)から名付けられました。
元々、鎌倉時代に西園寺公経が所有していた土地に建立された西園寺・北山第という別荘が始まりとされています。鎌倉幕府の倒幕後、西園寺家は権力を失い土地を手放すこととなりました。室町時代に入り、荒廃していたこの場所を室町幕府第3代将軍であった足利義満が譲り受け、1397年(応永4年)に山荘北山殿が造営されることとなりました。これが金閣寺となります。
1950年(昭和25年)には、当時見習い僧侶であった大学生によって放火され、造営当時の建物は全焼してしまいました。この事件は社会を揺るがし、三島由紀夫や水上勉などの作家によって事件を題材にした長編小説が執筆されました。焼失以前に計画されていた解体修理の設計図を利用し、1955年(昭和30年)に創建当時に近い状態で再建され、象徴的な全面金箔貼りの金閣寺が蘇りました。
1994年(平成6年)には「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されました。
石山から京都に戻り、いつものように建勲神社に向かうつもりでいたのだが、たまたま
乗ったバスが金閣寺に行く系統のバスだったので、平日だし、こういう状況だし、、、
空いているかな?と思い、建勲神社前では下車せず、そのまま金閣寺まで。
予想通り、かなりゆったりと見学することができました。
御朱印は現在書置きのみ。日付だけ手書きで書いてくれます。
今日は「石不動尊」の御朱印を頂きました。
ひょっとしたら学生時代以来かというくらいの金閣。おお~という感じは今の方がずっと大きい。次はいつ来れるでしょうか。ずっとピカピカであってほしいです。
御朱印いただきました。
総門です。さあ金閣へ。
いきなりの登場です、舎利殿金閣。ピカピカです。
近くから。金閣の1階って白でしたっけ???イメージと違う。
龍門滝。ここを鯉が登ると龍になるとか。
不動堂。
不動堂の提灯。
参道沿いの苔です。あったかくなると色鮮やかになりそうです。
過去の参拝で、書いてなかったものを写真が見つかったので投稿。
コロナ渦でマンボウの時期でしたが、車で移動して、人と接触しないようにして旅行。
以前京都に来た時は改修時期で、さらに時間が早すぎて拝観することができなかったので、
やっと来れました!という感じです。
さすがに改修あとということで、みごとにぴかぴか!
なんか現実感がなくなりますね。
舎利殿以外の建物、庭もとてもきれいで、
舎利殿だけでなく、周りの景色と一緒に堪能してこそ、と思いました。
普段ならこんなにゆっくり拝観することができなかったでしょうから、
この時期に顰蹙買うかも、と思いつつこちらに来てよかったと思いました。
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