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地蔵院(椿寺)ではいただけません
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じぞういん (つばきでら)|浄土宗昆陽山

地蔵院(椿寺)
京都府 北野白梅町駅

御朱印について御朱印
あり

豊臣秀吉が五色八重散椿を寄進したことから「椿寺」の名で知られ、椿のかたちの御朱印があります。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
なし

なし

巡礼

その他の巡礼の情報

洛陽三十三所観音霊場第30番
京都通称寺の会
洛陽四十八願地蔵尊第12番

地蔵院(椿寺)について

散り椿


書院の前庭には有名な「散り椿」があり、かつて豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に加藤清正が朝鮮蔚山城から持ち帰って秀吉に献上し、さらに北野大茶会のときに地蔵院に献木されました。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年03月17日(月)
2283投稿

京都市北区にあるお寺です。
「京の冬の旅」の特別拝観でお参りしました。
近くの駐車場に車を停められたので これはラッキーと思ったのですが 甘かった。
テレビでも取り上げられ ホトカミでも何人も投稿されていたのです そりゃ参拝者が多いに決まっています。
警備員がおられて 山門からつづく列の最後尾に並びました。
時々小雨が降り 傘をさしてしばらく並んでいたら
 「90分以上は覚悟してください」と言われ 後ろの方には「120分・・・」
本堂では説明が聞けるとのことで そのサイクルが20分おき それが4サイクル以上待つとのことでした。なんと 境内にも50人以上が並んでおられるそうです。
ぶつぶつぶつぶつ・・・待ちましたよ待ちました。
山門まで30分 本堂までさらに40分。少しだけ早かったです。
本堂では学芸員さんと思われる女性が説明をしてくださいました。
この学芸員さん 他のお寺でもお目にかかった気がします。
明るくて気さくな方でした。
主にご本尊の五却思惟阿弥陀如来と十一面観音立像とゆかりのある天野屋利兵衛さんの話でした。
玉の大きなそろばんと 天野屋利兵衛さんの巻物も展示されていました。
ご本尊はテレビで見たのと同じ 頭の大きな阿弥陀如来さんでした。
五却思惟阿弥陀如来が本尊とされるお寺は多くないそうで ほとんどが脇仏だそうです。
「かわいい」という声も聞かれましたが かわいいですか?私はそうは思わなかったのですが。。。

山号は昆陽山 宗派は浄土宗 ご本尊は五却思惟阿弥陀如来 創建年は神亀3年(726年) 開山は伝・行基 別称は椿寺です。
本堂とご本尊は 檀家さん以外では1300年の歴史で初の一般公開だそうです。
そりゃ混むわ。
待ったことで余計に心が満たされました。

ネット情報です。
神亀3年(726年) 行基が聖武天皇の勅願によって摂津国の昆陽池(こやいけ)のほとりに建立したのが始まりと伝わる。
平安時代に衣笠山の南に移されたが 室町時代の明徳2年(1391年)に勃発した明徳の乱で焼失した。
しかし 足利義満が金閣寺建立の余材をもって再建し 地蔵菩薩を奉安した。
天正17年(1589年) 豊臣秀吉の命によって現在地に移された。
当寺はそもそも八宗兼学の寺院であったが 寛文11年(1671年)に善曳和尚によって浄土宗寺院となり 知恩院の末寺となった。
この際に本尊が善導大師作で重源上人が招来したとされる五却思惟阿弥陀如来となっている。
鍬形地蔵や木納屋の地蔵と呼ばれていた元の本尊である地蔵菩薩は地蔵堂に移されている。
かつて書院の前庭には 名な「散り椿」があり これが椿寺という異名の由来になっている。
初代は惜しくも枯死し 現在は樹齢約120年の2世椿が花を咲かせており 京都市の天然記念物に指定されている。
五色八重散椿は 1本の木に濃淡様々な色合いの花が見られ 散り際も花びらが1枚ずつ散り美しいと 秀吉も愛したという名木である。
また 同じく境内にある八重紅枝垂桜と同時に見頃を迎えるため 4月中旬には椿と桜の美しい共演が見られる。

地蔵院(椿寺)(京都府)

京の冬の旅の看板

地蔵院(椿寺)(京都府)

山門

地蔵院(椿寺)(京都府)

鍬形地蔵尊の提灯

地蔵院(椿寺)(京都府)

由緒書

地蔵院(椿寺)(京都府)

石柱3柱

地蔵院(椿寺)(京都府)

散椿の庭

地蔵院(椿寺)(京都府)

鍬形地蔵尊

地蔵院(椿寺)(京都府)

六角形の台はなんじゃろ

地蔵院(椿寺)(京都府)

内陣

地蔵院(椿寺)(京都府)

観音堂

地蔵院(椿寺)(京都府)

三社 弁財天 椿大神 鎮守社

地蔵院(椿寺)(京都府)

本堂

地蔵院(椿寺)(京都府)

寺務所

地蔵院(椿寺)(京都府)

参拝者は途切れず

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歴史

726年に聖武天皇の勅願によって行基菩薩が摂津国の昆陽野池のほとりに建立した地蔵院が始まりと伝えられています。その後に、平安時代に衣笠山麓に移され室町時代初期に戦災で焼失したが足利義満が金閣寺建立の余財で再建し1589年に豊臣秀吉の命によって現在地に移りました。地蔵堂に安置する地蔵菩薩は行基作の当初からのものと伝え、また堂背後の板扉はもと北野天満宮にあった多宝塔の遺構とされています。

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地蔵院(椿寺)の基本情報

住所京都府京都市北区大将軍川端町2
行き方

嵐電「北野白梅町駅」徒歩5分
JR「円町駅」徒歩10分
市バス「北野白梅町」徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称地蔵院(椿寺)
読み方じぞういん (つばきでら)
通称椿寺
参拝時間

9:00~16:00

御朱印あり

豊臣秀吉が五色八重散椿を寄進したことから「椿寺」の名で知られ、椿のかたちの御朱印があります。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号075-461-1263
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://jizouin.exblog.jp/

巡礼の詳細情報

洛陽三十三所観音霊場

詳細情報

ご本尊五却思惟阿弥陀仏
山号昆陽山
院号地蔵院
宗旨・宗派浄土宗
創建時代726年(神亀3年)
開山・開基行基
ご由緒

726年に聖武天皇の勅願によって行基菩薩が摂津国の昆陽野池のほとりに建立した地蔵院が始まりと伝えられています。その後に、平安時代に衣笠山麓に移され室町時代初期に戦災で焼失したが足利義満が金閣寺建立の余財で再建し1589年に豊臣秀吉の命によって現在地に移りました。地蔵堂に安置する地蔵菩薩は行基作の当初からのものと伝え、また堂背後の板扉はもと北野天満宮にあった多宝塔の遺構とされています。

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