さいえんじ|単立|指月山
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般舟院陵、嘉楽中学校のさらに東にある寺院。参道先に本堂があり、その横には近代的なビル建物がある。西圓寺は2018年に単立寺院として誕生しているが詳細は不明。この地には2011年まで天台宗の般舟院という寺院があった。嘉楽中学校の前に「禁裏道場蹟」の石碑があり、調べるとかつては天皇家の菩提寺でもあったそう😲天王寺の菩提寺といえば御寺・泉涌寺のみというのが今の解釈ですが、かつて「御寺」と称する寺院が二つ存在していたことになります。享保十五年の火災で伽藍に甚大な被害を被った般舟院はその再建に際し財政出動を幕府に願い出ますが、京都所司代よりと「御寺」と称す寺院が二つ存在することに疑義が出され、般舟院は提出した願書の中で泉涌寺と共通する自院の機能として「禁裏御黒戸与相立 御位牌奉安置」ことをあげ、さらに天皇誕生日に祈禱を仰せ付けられてそれを執行していること、毎月御経を献上して下行を拝領していること、毎年正月に「末広扇子」を下賜されていること、元日に「御茶」や「御膳具」などを献上し、禁裏御所に安置されている元三大師像を借り受け掲示していること、の四点を他寺院にはみられない般舟院独自の天皇家との由緒として主張する。また、般舟院は自らは「禁裏御仏殿」、泉涌寺は「御葬礼所」であるとの認識を示し、泉涌寺はあくまで天皇家の被葬寺院であるとした上で、「御中陰之節并御年回之聖忌之節」、すなわち中陰法要と「年忌法要」の際は、「当院泉涌寺両寺」で法要が行われると説明する。その一方で、「毎年御正忌之御法事者当院斗江被 仰付、於他寺者御沙汰無御座候事」と般舟院の専管事項としては、毎年行われる「回忌法要」があると主張することで、これらの法要には泉涌寺を含む他寺院の関与が全くないことを強調している。とあります。つまり天皇家の法事等に関しては当寺のほうが格式が上であると言わんばかりの発言であり、実際近世の天皇家の追善仏事の開催は般舟院がもっとも多かったらしいです。しかし徐々にその地位を泉涌寺に奪われていき、極めつけは神仏分離の際に官令により、寺の維持に適性を欠いたとして、歴代皇室の尊位牌は泉涌寺に遷され宮内庁からの保護料下付も停止になったのが決定打となり、以後転落を余儀なくされたようです。結局2011年に境内地は競売にかけられ、北海道の法人が取得したらしいのですがそちらと西圓寺の関係はわかりません。何とも悲しい結末を迎えた寺院の末路ですね…😥
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京都市上京区にあるお寺です。嘉楽中学校のすぐお隣にあります。
グラウンドとプールに挟まれるように 旗竿地になっていました。
山号は指月山 宗旨宗派は天台宗延暦寺派→単立 ご本尊は阿弥陀如来像です。
今出川通沿い 般舟院前町(はんしゅういんまえちょう)の嘉楽中学校前に 「禁裏道場蹟」の大石碑が立つ。
その北に かつて 「般舟院(はんしゅういん/はんじゅういん)」 正式には「般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)」があった。
室町時代中期に 後土御門天皇の発願により伏見に建立されたのが始まりとされ 豊臣秀吉の伏見城築城に伴い西陣に移転したとされる。
現在は 大人の事情でうんぬんあったようで 西圓寺という単立寺院である。
西圓寺の情報
| 住所 | 京都府京都市上京区般舟院前151 |
|---|---|
| 行き方 |
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西圓寺の基本情報
| 名称 | 西圓寺 |
|---|---|
| 読み方 | さいえんじ |
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 指月山 |
| 院号 | 般舟院 |
| 宗旨・宗派 | 単立 |
| 創建時代 | 1464年 |
| 開山・開基 | 後土御門天皇 開山:恵徳上人善空 |
| ご由緒 | 今出川通沿い、般舟院前町の嘉楽中学校前に、「禁裏道場蹟」の大石碑が立つ。その北に、かつて、「般舟院)」、正式には「般舟三昧院」があった。
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