ほうこうじ|天台宗三門派
方広寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
特別公開に行ってきました。
豊臣秀吉公ゆかりのお寺
鐘楼
鐘に掘られた銘文「国家安康 君臣豊楽」が
豊臣家討滅への口実に利用され、大阪冬の陣、豊臣家滅亡のきっかけとなったことで歴史上有名な鐘
御堂の中は写真禁止
鐘楼はOKでした
鐘の中(内側)
白雲のようなものがあり、人影に見える。大坂夏の陣で自刃した淀殿の恨みが晴れず幽霊として現れたともいう。鋳造し直しても消えない。
写真撮りましたが…
わかりにくいです。
鐘楼
銘文「国家安康」「君臣豊楽」
鐘の内側
白雲のようなもの 横顔と言われてます
京の冬の旅・非公開文化財特別公開にあわせて拝観。
豊臣秀吉が大仏を祀るために創建した。東大寺の3倍の規模の大仏殿で、東大寺の大仏より大きな19mの盧舎那仏が安置されたが、地震で倒壊した。
その後、豊臣秀頼が2度にわたり再建したが焼失、徳川幕府が建立したものも地震で倒壊している。
現在本堂に安置されている本尊盧舎那仏は、かつての大仏を1/10の大きさで再現されたものとされる。
本堂東側の大黒堂には、伝教大師最澄作と伝わる大黒天像(豊臣秀吉念持仏)を祀る。
豊臣家滅亡のきっかけとなった「国家安康 君臣豊楽」の銘が刻まれた梵鐘は重文指定されている。重さは82.7トンある。
本堂
大黒堂
方広寺の特別公開を狙って訪問しました🎫
方広寺は豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏(盧舎那仏)を祀るために創建しました⛏
1595年には東大寺の3倍規模という大仏殿が完成し、高さが約19mの大仏が安置されました✨
しかし、翌年の地震により倒壊し、その後も大仏と大仏殿は焼失と再建を繰り返し、1973(昭和48)年の焼失後は再建されていません😢
方広寺と言えば、鐘楼の梵鐘が有名です✋
1614年に鋳造された梵鐘で重要文化財に指定されています✨
高さ4.2m、外径2.8m、厚さ0.27m、重さ82.7tの巨大な鐘で、「日本三大名鐘」のひとつに数えられています🔔
鐘に彫られた銘文「国家安康 君臣豊楽」が豊臣家を討つ口実に利用され、豊臣家滅亡のきっかけになったことで歴史上有名な鐘です🖌
徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康と徳川家を冒とくするものとみなされたそうです😨
有名な話ですので、歴史上貴重な物を見ている感じを受けますよ😃
鐘楼✨
梵鐘🔔
梵鐘🔔
梵鐘(銘文「国家安康 君臣豊楽」)🖌
鐘楼✨
第55回京の冬の旅👣
本堂と大黒堂❗️
豊国神社のお隣、豊臣秀吉ゆかりのお寺です。
東大寺のような大仏殿としたかったようですが、地震や火災など度重なるアクシデントによりなかなか実現しませんでした。
江戸時代に入ってからようやく、息子の秀頼により大仏殿が完成しましたが、梵鐘の銘文「国家安康」「君臣豊楽」が家康の名前を分断し、豊臣を君主とするものだと徳川家康から難癖がつけられてしまいました。これが大坂冬の陣のきっかけになったと言われています。
この逸話に出てくる鐘が今でも境内に残されていました。とても大きく立派な鐘でした。
入れ替わりで1、2組の参拝者が常にお参りしている状態でしたが、皆さん静かにお参りしており落ち着いた雰囲気でした。
本堂
本堂と大黒天堂
鐘楼
梵鐘
件の銘文はこの鐘の反対側にあります
うまく写真に残せなかった💦
天井画は元伏見城の女性用化粧室の天井画であったそうです
国家安康の銘鐘について
御朱印
豊国のお隣、方広寺さん。
豊国参りのついでにお立ち寄り。
現在の方広寺本堂。
方広寺鐘。実は2代目。
下に転がってるのが初代方広寺鐘。の一部。
屋根にはちゃんと豊臣紋。
京都府のおすすめ2選🍁
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