いまくまのじんじゃ
新熊野神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
午前3時半に参拝。
この神社は昼にこの辺歩いても自然に辿り着かず???となる。
まあマップで調べりゃええ話やねんけども。
後白河上皇が紀州熊野の神を仙洞御所法住寺殿内に勧請し、社を創建したそうな。
上皇の命を受け、平清盛が熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を建築。
那智の浜の青白の小石を敷いて、霊地熊野を再現したとのこと。
応仁の乱で荒廃、現本殿は1673年に聖護院の親王により再建。
境内の楠の木は後白河上皇お手植えの神木といわれ、お腹を守護する神など信仰されているそう。
当然夜中に行ったので結構暗かったですが、明かりはちらほらあったので問題なく参拝できました。
境内に花の磐神社の説明?とともに大きい樹に描かれたイザナギとイザナミの姿がありました。
【新熊野神社】
以前に1,2回は訪れた事があるような気がする。
御朱印拝受は初めて。
四條畷神社さんの御朱印帳に拝受
四條畷神社さんの御朱印帳に拝受
能楽発祥の地「新熊野神社」
京都r143沿い。前の通りは古い感じの商店街、今熊野商店街。
駐車場神社の南の路地入ったところに時間貸し。
石鳥居をくぐり、左手に後白河上皇お手植えの大樟。でかい。
大樟前に賽銭箱と「さすり木」
大樟隣は社務所。御朱印は全部で4種類。
右手に観阿弥・世阿弥父子の絵が描かれた石版等。と、拝殿。
『能楽』の創始者といわれる観阿弥世阿弥が、パトロンの足利義満との出会いの地。
当時は能楽ではなく『猿楽』と言われてパトロン効果で大成していく。
また、当神社は後白河法皇創建。高倉天皇の後宮・藤原殖子が安産祈願して後鳥羽天皇を出産した安産の神様の地。
京都r143走ってたら見つけたから参拝です。
御朱印を頼んだら「4種類の中から選んで〜オススメはこれ」って紹介されたのでいただき、由緒も説明してもらった。
鳥居
大樟。でかい
大楠前。右手のは大樟のでできている。撫でれる。
能楽発祥の地
新と書いて「いま」と読みます。
紀州熊野三山より御祭神を勧請を受け、古い熊野に対して京にある今の熊野という意味なのだそうです。
社務所
綺麗な音の、本殿の鈴
本殿
中之社【忍穂耳尊・瓊々杵尊・彦穂穂出見尊・鵜葺草葺不合尊】
上之社【早速之男大神、伊弉諾尊・熊野家津御子大神、素戔嗚尊】
本殿裏手の熊野古道
若宮社
下之社【軻遇突智神・埴山姫神・弥都波能売神・雅産霊神】
結之社
楠社
凄く大きな大楠です
今日の3カ所目。
後白河法皇による勧請で、造営は平清盛による。
現代では珍しい神仏習合を公言している神社で、御祭神が本地仏を兼ねており、「祭神」イザナミを千手観音として、イザナギを薬師如来として奉っている。
境内に植えられた後白河上皇お手植えの楠は市内でも群を抜く大きさで有名。
正面より。
神木の楠には直接触れられないので代理が据えてある。
境内模型。
巨大な御神木「後白河上皇お手植えの楠」
パ ラ ダ イ ス 感。
改めて本殿。
「神仏習合」熊野八葉曼荼羅絵図。
あとここの八咫さまがかわいらしい。
“巡礼”をテーマにした都市史のレポートのネタを撮りに行きました。
この日は、すでに夏越大祓の茅の輪が設置されていましたね。
後白河院の時代は熊野本宮に見立てられていたようで、現在では規模の小さい神社ですが、本殿は熊野の證証殿と同じ形式です。
とにかく神仏習合推しの強い神社で、神仏習合についての解説看板のほか、本殿裏手に「京の熊野古道」と称するミニ巡礼道のようなものが設けられていて、ご神木で作られた熊野八葉曼荼羅や各仏尊、熊野信仰にまつわる説話の場面などのレリーフが祀られています。カラフルな彫刻で普通の神社とは一風変わった趣ですが、面白いものが見られました。
薄暮の新熊野神社
拝殿。茅の輪が設置されています
神仏習合解説
京の熊野古道
京の熊野古道のレリーフ
能面の印が面白いですw
公式HPにある今熊野猿楽のPDFが
修験道との関係から書いてあって読み応えがあります
これで京都三熊野全てお参りしたんですけど
ネットで見ていて紀伊の熊野三山と京都三熊野が
対応しているんだという説と
特に対応しているのではないんだと言う説
の両方あるのが面白いですねw
若王子神社(御朱印に 京洛東那智 と墨書き)
新熊野神社(本地仏とされる今熊野観音寺の山号が 新那智山)
と那智大社に相当する候補が2つあるのを考えると
三山三熊野対応説が少し弱いでしょうか?w
印
八咫烏
新熊野神社
新熊野神事猿楽演能之地(能面)
#新熊野神社
ご祭神はクマノクスビの大神、ハヤタマノヲの大神、クマノケツミコの大神、アマテラス大神、アメノオシホミミの命、ニニギの尊、ヒコホホデミの尊、ウカヤフキアエズの命、ワクムスビの命、カグツチの命、ハニヤマヒメの命、ミヅハメの命。
#稚産霊命
戸部民夫氏の本に、ワクムスビの命は食物の神様で、ワクは若いという意味だと書いてあった。以来、僕は長いことそうとばかり思っていた。それだけに、後に三橋健氏の本で、彼が水神だという記述を見た時は、ド肝を抜かれた。
何せ彼は、カグツチの神を産んだ時の火傷で病を得たイザナミの神が、病床で産んだ神様。そのカグツチの神の別名が、ホムスビの命(火産霊命)だ。
ところで、稚内やカムイワッカといった地名に出てくるワッカは、水を意味するらしい。
僕がこれまでにした妄想の中でも、特に荒唐無稽だと思う。ワクムスビの命のワクは「若い」ではなくワッカが語源で、彼は火の神ホムスビの命と対をなす存在ではないか、などと。
僕は実のところ、畿内王権がアイヌと接触していた、という主張は、ロマンチックで好きではあるが賛同していない。だから、記紀神話の神名をアイヌ語で解釈する立場は採れない。ワクにしたって、百歩譲って水と関連する言葉だったとしても、まだ動詞の「湧く」と同根と考えた方がしっくりくる。
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