いまくまのじんじゃ
新熊野神社のお参りの記録一覧
《京都旅🚘️⑥》
瀧尾⛩️から少し歩いて🚶参拝させていただきました。
御朱印をいただき、お話を丁寧にしてくださいました🙏
☔と蒸し暑さで、🦟がたくさんでした😅
JR京都駅から東に約1kmほど、三十三間堂からは南に約500mのところに鎮座しています。
新熊野と書いて「いまくまの」と読みます。
新熊野神社HPより~~~~~~~~~~
当社は熊野信仰の盛んな平安時代末期、永暦元年(1160年)、後白河法皇によって創建された神社です。後白河天皇は1155年に即位され、1158年に退位されましたが、退位後も引き続き院政を敷かれ、そのときのお住まいとなったのが、現在三十三間堂の東側にある法住寺です。当時は「法住寺殿」と呼ばれ、その鎮守社として新熊野神社が、鎮守寺として三十三間堂が創建されました。その造営に当たったのが法皇の命を受けた平清盛・重盛父子です。
法皇は一生のうちに34回熊野に参詣されていますが、当時の都人にとって熊野に参詣することは大変なことで、そう何回も行けるわけではありません。そこで、熊野の新宮・別宮として創建されたのが当社で、当社は長らく京の熊野信仰の中心地として栄えました。当社が「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の古い熊野に対する京の新しい熊野、紀州の昔の熊野に対する京の今の熊野という当時の都人の認識が、その由来となっています。
その後350年間、当社は繁栄を極めましたが、応仁の乱以降、度々の戦火に見舞われ、一時は廃絶同様の状態になってしまいました。それを再建されたのが、江戸時代初期、後水尾天皇の中宮東福門院(3代将軍徳川家光の妹)で、現在の本殿は寛文13年(1663年)聖護院宮道寛親王(後水尾上皇の皇子)によって修復されたものです。
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またこちらは能楽発祥の地だそうで、能楽の祖である観阿弥・世阿弥父子が、この新熊野神社で「新熊野神事能楽」を披露。
これを観ていた足利三代将軍義満はとても感動し、2人を観阿弥・世阿弥と名乗らせることになった機縁の地だそうです。
御朱印は4種類あり、いずれも八咫烏のスタンプが押されています。
大きく分けて2種類で、一つは角印が押された正式な御朱印、もう一つは「くすのき大権現」のスタンプが押されたもので、それぞれ「新熊野社」と書かれたものと、「新熊野神社」と書かれたものになるそうです。
「社」は神仏習合だから「社」の一文字となり、もう一つの「神社」は現在の新熊野神社としての御朱印だそうですよ。
2つ以上の御朱印をお願いすると、椥(なぎ)の葉が入ったお守りをいただけます。
鳥居
拝殿
御祭神
熊野牟須美大神(千手観音)
拝殿の屋根には八咫烏
本殿
全国的にみても珍しい「熊野造り」の社殿だそうです
本殿への参拝を済ませたところで、経路順に参拝していきます
拝殿左側より進んでいきます
上之社
御祭神
速玉之男大神(薬師如来)
熊野家津御子大神(阿弥陀如来)
中之社
御祭神
天忍穂耳命(地蔵菩薩)
瓊々杵尊(龍樹菩薩)
彦火火出見尊(如意輪観音)
鵜葺草葺不合命(聖観音)
ここから「京の熊野古道」です
稲葉根王子(稲荷神)と荼枳尼天
熊野曼荼羅
熊野本宮八葉曼荼羅を基に描いたものだそうです
熊野本宮八葉曼荼羅の説明書
八咫烏
左から
制多迦童子、弥都波能売神(不動明王)、矜羯羅童子
若宮社
御祭神
天照大神(十一面観音)
下之社
御祭神
稚産霊命(釈迦如来)
軻遇突智命(文殊菩薩、普賢菩薩)
埴山姫命(毘沙門天)
弥都波能売命(不動明王)
花の窟
左から
軻遇突智神(文殊菩薩)
埴山姫神(毘沙門天)
軻遇突智神(普賢菩薩)
樟大権現
「影向(ようごう)の大樟」
後白河法皇お手植えの樟と伝えられており、推定樹齢900年とされる
樟大権現(樟龍弁財天)
手水舎
由緒書
境内の模型が置かれていました
御朱印
いただいた由緒書と椥のお守り
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