いまくまのじんじゃ
新熊野神社のお参りの記録一覧

京都市東山区にある神社です。
JR東福寺駅から143号線を進んでいくと 住宅街の中にぽつんとあります。
三十三間堂の少し南側になります。
鳥居や奥に見える社殿が立派なので 期待してのお参りになりました。
摂社も多く 楠大権現は 後白河上皇御手植えの樟で樹齢900年と推定されているそうです。
本殿の狛犬が 少し角ばっているような気がして面白かったです。
本殿の裏手には 京の熊野古道があり ぐるっと回ると
若宮社:天照大神
上之社:速玉之男大神 熊野家津御子大神
中之社:天忍穂耳命 瓊々杵尊 彦火火出見尊 鵜葺草葺不合命
下之社:稚産霊命 軻遇突智命 埴山姫命 弥都波能売命
にもお参りできます。
ネット情報です。
永暦元年(1160年) 後白河上皇の命により院の御所である法住寺殿の鎮守社として紀伊国・熊野三山の熊野権現を勧請し 熊野三山の新宮・別宮として平清盛によって創建された。
また 同年には同じく法住寺殿の鎮守社として新日吉社も建立され 長寛2年(1165年)には鎮守寺として蓮華王院(三十三間堂)も創建されている。
後白河上皇は生涯で34回も熊野三山に参詣するほど熊野権現を信仰していたが あまりにも紀伊国は遠くにあったため 頻繁に参詣することは難しかった。
そこで自らが住まう法住寺殿のすぐそばに熊野権現を勧請し 当社は建立されたのである。
以後は京の熊野信仰の中心地として大いに栄えた。
室町時代に入ると応仁の乱などの戦乱によって衰微したが 江戸時代に入ると後水尾天皇の中宮東福門院によって復興された。
寛文13年(1673年)には聖護院宮道寛法親王(後水尾上皇の皇子)によって本殿が再建されている。
永和元年(1375年)にこの地で観阿弥・世阿弥父子が室町幕府将軍足利義満の前で猿楽能(今熊野猿楽)を舞ったことから「能楽発祥の地」とされている。
正面石鳥居
由緒書
全景
楠大権現
参拝入口
巨大楠
石柱
本殿
拝所
熊野古道入口
中之社
上之社
若宮社
下之社
八咫烏
神仏習合について

御祭神
本地仏(神道と仏教が融合した神仏習合の要素が色濃い熊野独自の信仰)
・本殿
熊野牟須美大神(イザナミ命) 千手観音
御本殿の屋根には八咫烏
そして本坪鈴と違って神楽鈴でした。
音色がきれいでした♬
・上之社
速玉之男大神(イザナギ命) 薬師如来
熊野家津御子大神(スサノヲ命) 阿弥陀如来
・中之社
天忍穂耳命 地蔵菩薩
瓊々杵尊 龍樹菩薩
彦火火出見尊 如意輪観音
鵜葺草葺不合命 聖観音
・若宮社
天照大神 十一面観音
・下之社
稚産霊命(穀物 養蚕の神) 釈迦如来
軻遇突智命(火の神) 文殊菩薩 普賢菩薩
埴山姫命(土の神) 毘沙門天
弥都波能売命(水の神) 不動明王
・樟社
樟大権現 樟龍弁財天
大楠は樹齢は900年と推定
京都市指定 天然記念物
すごく立派でした🌳
御朱印
新熊野社と新熊野神社の御朱印がありました。
それぞれ2種
宮司さんに説明をしていただきました。
簡単に言えば
新熊野社は神仏習合時代
新熊野神社は神仏分離以降
と言う事だと受け取りました。
御朱印にも押されている
能楽発祥の地
世阿弥の痕跡が色濃く残る神社です。
八咫烏も押されてます。
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