ぜんのうじ|真言宗泉涌寺派
善能寺のお参りの記録一覧
京都市東山区にあるお寺です。泉涌寺のすぐ近くにあります。
宗旨宗派は真言宗泉涌寺派 寺格は泉涌寺塔頭 ご本尊は聖観音です。
西国三十三霊場巡りで 今熊野観音寺にお参りする途中にあり お参りしました。
参拝者は泉涌寺に比べて圧倒的に少ないのですが 落ち着いてお参りできて良かったです。
御朱印は泉涌寺で拝受できます。
由緒については
この寺は一説によれば 元は西八条猪熊二階堂町にあった二階観音堂と呼ばれていた寺であったが 弘仁14年(823年)に空海がこの寺に稲荷大明神(荼枳尼天)を祀って寺の名称を善能寺に改めたという。
その後 平城天皇の勅願寺となっている。
天文24年(1555年)に後奈良天皇の命で泉涌寺の塔頭とされ 同じく塔頭の今熊野観音寺の西北に移された。
明治時代の廃仏毀釈で荒廃し 1887年(明治20年)に現在地に移された。
稲荷大明神(荼枳尼天)を日本で最初に祀った寺ともされる。
現在の本堂(祥空殿)は1971年(昭和46年)のばんだい号墜落事故の遺族の寄進により すべての航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願して建立されたものである。
1972年(昭和47年)には作庭家の重森三玲によって池泉庭園遊仙苑が造られた。
とありました。
山門
由緒書
洛陽観音第18番札所だそうです
庭に配置された岩
本堂
本堂内陣
庭園「遊仙苑」 もしかしたら 池の水が抜けてしまった?
白玉龍神社
日本最初稲荷神石社かな?
泉涌寺の塔頭寺院。歴史は古く、弘法大師空海を開基として建てられたお寺さんです。もともとは、
八条油小路にあり"二階観音堂"と言われていましたが、"稲荷大明神"を祀る寺として"善能寺"と名を改めたそうです。
その後、1551年(天文20年)泉涌寺の護持院として今熊野観音寺さんの西北に移され、明治維新後荒廃。
1886年(明治20年)、再興の際この地に移されたそうです。
現在のお堂(祥空殿)は、北海道横津岳で遭難した「ばんだい号」の御遺族が建立寄進されたそうです。(昭和46年)
門を入って右手に、稲荷社があります。善能寺さんの御朱印は、泉涌寺さんでいただきました。
洛陽三十三所観音巡礼 第18番札所
宗派:真言宗泉涌寺派
御本尊:聖観世音菩薩
創建:823年(弘仁14年)
開山:弘法大師
ご本堂(祥空殿)
日本最初稲荷神石社
御祭神:稲荷神
いただいた御朱印です。
善能寺 参拝日 令和5年2月19日
洛陽三十三所観音霊場第十八番の御朱印を頂きました
洛陽三十三所観音霊場納経帖のページ
洛陽三十三所観音霊場第十八番の御朱印
泉涌寺の塔頭です。
本尊は観世音菩薩ですが、境内にある稲荷神石社は枳尼尊天を祀る最初の寺との云われがあります。
日本最初稲荷神石社
ウ冠に取ると書いて【ショ】と読ませてます
1971に起きた「ばんだい号」墜落事件の折りに、その遺族によって寄進された慰霊寺。
現在では広く航空犠牲者の供養寺院となっている。
元は東寺近辺にあり、弘法大師空海の創建による。
室町時代に後嵯峨天皇の勅命により現在の地へ移設されたが、明治の廃仏毀釈の折りに廃寺、後に再興された。
在住管理住職を持たず、朱印等は泉涌寺にて受け付けている。
この寺は稲荷大明神の本地仏として聖観音を奉っており、日本最初の稲荷大明神である。
【日本最初の稲荷大明神】
昔、空海が東寺の近辺で1人の翁と出会う。
自らを柴守長者と名乗るこの翁に空海の仏法を守護する、と言われたことから空海は翁のためのお堂を建立。翁が稲を背負った姿であったことからこれを「稲荷大明神」とし、翁のために聖観音を安置した。
これが全国に広く知れ渡り、各地で民間信仰化したものが現在における稲荷信仰のはじまりであると言われている。
(※あくまでも善能寺 寺説による解釈であり稲荷大社の社説とは異なります)
「独鈷水」来迎院さんのお向かい。
航空慰霊「祥空殿」
日本最初の稲荷大明神。
京都府のおすすめ2選🍁
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0