ほうこくびょう・とよくにびょう
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豊国廟(豊国神社飛地境内)について
阿弥陀ヶ峯の山頂にある石造五輪塔
山頂までの石段489段
前半(中腹にある門まで)318段
後半(中腹の門から頂上まで)171段
京都府のおすすめ❄️
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京都女子大の脇を抜けて、500段ほどの階段を上がって参拝してきました。
(ちなみに参拝するには100円必要です。)
いやあ、疲れましたね、、、。
階段が前半と後半に分かれてるのですが、前半が2段ごとに段が長くなる変わった形で、タイミングをズラされてしんどかったです。
登り切った先にはすごく大きな五輪塔が。
山の上にあるせいか、麓より紅葉は進んでいてもう散り際でした。
また、上では北側が開けており清水寺を望むことができました。













京都市東山区今熊野北日吉町の阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)の山頂にある豊国廟(ほうこくびょう)にご参拝させていただきました🥹🙏👏🌿
小雨☔️のなか 麓ふもとから489段の石段を登り 石造五輪塔に向かい 畏かしこみ畏かしこみ身滌大祓みそぎのおおはらいをご奏上させていただきました🥹👏🙏🌿 豊国大明神さま秀吉公さまのますますのご繁栄ありますように🥹👏🙏🙇🏻♂️🌿
この前の畿内逆五芒星巡りの道中 福寿ふくじゅ瓢箪ひょうたん守りをずっと手製の布地の袋に入れて 首にぶら下げて 巡らせていただきました🚙💨☺️👏🙏🌿道中安全だったお礼と子供達の開運へのお礼をあらためて申し上げさせていただきました🥹👏🙏🌿思い返せば すべてはここからはじまったような気がします☺️🙏👏🌿ほんとうにありがとうございました🥹👏🙏🙇🏻♂️🌿
雨で☔️しっとりとした豊国廟の風景も緑が映えてすごく落ち着きました☺️👏🙏🌿雨☔️ いいものですね😊👏🙏🌿
精進して また ぜひ ご参拝させていただけますように🥹👏🙏🌿🙇🏻♂️

社務所の方 ほんとうに
丁寧で親切にしていただいて
ありがとうございました😊🙏🌿



りっぱな鳥居があり
参道が続きます⛩️🥹🙏👏🌿









霧が出て幻想的になってきました😲🥹🙏👏🌿























ほんとうに ありがとう
ございました☺️🙇🏻♂️🙏👏🌿🥹
感謝 感謝 申しあげました🥹🙏👏🌿


清水寺が見えます🥹🌿


















京都市東山区今熊野北日吉町の阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)山頂にある豊国廟(ほうこくびょう)にご参拝させていただきました☺️
豊臣秀吉公の廟所(墓所)で、高さ10mの巨大な五輪石塔が山頂にご鎮座されます。
早朝の秋晴れの長い長い石の階段を、秀吉公さまにお礼を申し上げるため登らせていただきました。2022年3月20日(識子.Sさんの本を読んで)1回目ご参拝のとき、龍神🐉さまの雲を見させていただき、畿内逆五芒星巡りする決心のあと押しをいただき、それから子供の正社員就職、子供達の役職就任、息子の結婚(来週)と、この2年足らずで普通では考えられないくらいのご神徳をいただきました。
御廟 五輪石塔に向かい、縁起物の瓢箪ひょうたんと絵馬を綿袋に入れて首からぶら下げながら、畏かしこみ畏かしこみ身滌大祓(みそぎのおおはらい)をご奏上させていただきお礼申し上げました。祝詞の最中、蠢うごめくものを感じ、今回は、八咫烏(神使)としてお姿を見せていただきあたまの真上を飛んでいっていただきました。ありがたいことです。ほんとうにありがとうございます☺️
精進して また つぎも ご参拝されていただけますように😊


八咫烏(神使)さま🪶飛来
(びっくりしました👀)
ありがたいことです🥹



「ほうこくびょう」🧐




社務所の方
みんながどんぐりで転ばないように
吹き飛ばして下さっています😊

























清水寺

絶景でした

2022年3月20日(日)1回目
龍神🐉さま

2022年4月2日(土)2回目
二つの眷属さま

八咫烏🐦⬛さま
(若一神社の扁額そっくり)今回
境内・文化財
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慶長3年(1598)8月18日、豊臣秀吉公は齢63歳を以って伏見城にて薨じた。遺体は、遺命により、京都東山の阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)山頂に葬られ、麓の太閤坦(たいこうだいら)には日本の霊廟建築の起源とされる、豪華絢爛な豊国社(とよくにのやしろ)が建立されました。本殿のほかに舞殿・新宝殿・護摩堂・鐘櫓・太鼓櫓等などが建ち並んでいたといいます。翌年4月18日、遷宮式が行われ、後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と神号を賜り、以後、毎年盛大な祭礼(豊国祭)が取り行われました。
しかし、慶長20年(1615)豊臣氏の滅亡すると、徳川家康によって神社は廃絶、破壊され、江戸時代を通して再興は許されませんでした。
明治30年(1897)、秀吉公の300年忌に際し、新社殿が方広寺大仏殿跡地に建立され(現在の豊国神社)、秀吉公の遺骨も再埋葬された。旧社地には秀吉公の廟宇である太閤坦が建てられ、墳上には巨大な五輪石塔が建てられました。
現在の太閤坦には、1911年(明治44年)に寺町通の誓願寺から秀吉の孫・国松と秀吉の愛妾・松の丸殿の供養塔が移されています。
豊国廟(豊国神社飛地境内)の基本情報
| 住所 | 京都府京都市東山区今熊野北日吉町61−1 |
|---|---|
| 行き方 | バス停「東山七条」から、豊国廟ふもとの鳥居まで徒歩約8分
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京都府のおすすめ❄️
| 名称 | 豊国廟(豊国神社飛地境内) |
|---|---|
| 読み方 | ほうこくびょう・とよくにびょう |
| 参拝料 | 登拝料として100円が必要 |
| トイレ | あり(鳥居の横) |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-561-3802(豊国神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
詳細情報
| ご祭神 | 豊臣秀吉公 |
|---|---|
| 創建時代 | 慶長四年(1599) |
| 創始者 | 豊臣秀吉公遺命 |
| ご由緒 | 慶長3年(1598)8月18日、豊臣秀吉公は齢63歳を以って伏見城にて薨じた。遺体は、遺命により、京都東山の阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)山頂に葬られ、麓の太閤坦(たいこうだいら)には日本の霊廟建築の起源とされる、豪華絢爛な豊国社(とよくにのやしろ)が建立されました。本殿のほかに舞殿・新宝殿・護摩堂・鐘櫓・太鼓櫓等などが建ち並んでいたといいます。翌年4月18日、遷宮式が行われ、後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と神号を賜り、以後、毎年盛大な祭礼(豊国祭)が取り行われました。
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| 体験 | 御朱印武将・サムライ有名人のお墓 |
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