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いちじょうじあと|天台寺門宗園城寺別院

一乗寺趾
京都府 一乗寺駅

一乗寺趾の基本情報

住所

京都府京都市左京区一乗寺燈籠本町26

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

一乗寺趾

読み方

いちじょうじあと

詳細情報

宗旨・宗派天台寺門宗園城寺別院
創建時代

康平6年(1063年)

開山・開基

藤原彰子 開山:穆算上人

ご由緒

京都府京都市左京区北白川の京都芸術大学から約5分北へ歩くと一乗寺地区がある。古くは天台宗延暦寺の登り口として西に在ることから西の坂の下、西坂本と呼ばれていた地域である。一乗寺の名の由来は、その名の寺院が存在していた事からきているが、一乗寺の名を持つ寺院はこの地域には現存しない。
平安時代、この地は貴族の山荘や遊覧の地であった。公家の日記などの歴史書『百錬抄』には、康平六年(1063)に一条天皇の皇后上東門院が建立し、同じく12月24日の条にも「上東門院三井寺一乗院ニ供養ス」とあり、これが園城寺三井寺の別院となる一乗寺のことである。当時から現在まで天台宗は、大きく山門派(延暦寺)寺門派(園城寺)真盛派(西教寺)の三宗派に分かれており座主を巡っての争いがあった。山門派との争いを恐れた寺門派の僧侶が比叡山を避けて山城の愛宕郡西坂本の一乗寺に住み込んでいた。しかし、保安二年(1121)5月27日に延暦寺の衆徒に焼き払われ一乗寺の堂塔伽藍は、焼失。再建後,南北朝の戦乱によって再び焼失し廃絶した。
現在の一乗寺は、周辺地図にある上一乗寺と白川通から西に広がる商業地域である下一乗寺に大きく分かれている。上一乗寺の集会所として利用されている場所で多くの石仏が出土したことから一乗寺跡が建てられている。この周辺が一乗寺であったと推測される。
一乗寺跡に付随するように、北に薬師堂・南に釈迦堂が現存している。どちらの伽藍にも僧侶等は置かれていない。地元住民が協力し、日々念仏と維持管理を行っている。

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