そうりんじ|天台宗|金玉山
雙林寺(双林寺)のお参りの記録一覧
京都市内の寺院巡りの2寺目は、1寺目の高台寺と同じ東山区に在る金玉山 雙林寺です。高台寺の北側に在ります。
天台宗で、本尊は薬師如来(重文)。
通常で薬師如来坐像は公開されているそうですが、今回の春期京都非公開文化財特別公開のため、通常は護摩壇があるため約9m離れた位置からの拝観ですが、護摩壇を片付けて約3mの距離から拝観出来るよう設えを変更されたとの事です。また、通常非公開の大黒天像(伝教大師作)、西行法師像(室町時代初期作)も公開されています。
延暦年間(782~805年)に桓武天皇の勅命により、尾張連定鑑(おわりのむらじさだみ)が最澄を開基としてこの地に創建と伝わります。鳥羽天皇の皇女綾雲女王、土御門天皇皇子静仁法親王が住職を務める等もありかなり繁栄し、広い境内と17の支院を有していたが衰退。応永年間(1394~1427年)に国阿上人が再興し、時宗一派の本山となり東山道場と称したが再度衰退し、明治維新の時に天台宗に改宗。明治時代中頃の円山公園造園時に寺領を没収され、本堂と飛地にある花月庵(西行堂)を残すのみとなったとの事です。正式名は霊鷲山沙羅双樹林寺法華三昧無量壽院。
駐車場はありません。(高台寺駐車場に停めたまま徒歩で移動。)
寺号柱の前に着きましたが石材店の方が目立ちますね。こじんまりした境内です。春期京都非公開文化財特別公開の係員に拝観料(1000円)を納めましたら、護摩木を頂きました。本堂の左側の間の真ん中に本尊の薬師如来坐像。その前の左右に大黒天像、西行法師像が置かれていました。薬師如来座像は高さ約85cm、平安時代前期の9世紀の作と言われています。ずんぐりとしていて、口角が上がって微笑んでいるよう、見入ってしまいました。膝辺りには翻羽式衣文。白毫はありませんでした。
右側の間には聖歓喜天、と言っても殆どの寺院と同じく観れません。
本堂の左側手前に地蔵堂があります。祀られているのは持病平癒地蔵尊。1872年の法華塚修繕の際に土中より見付かり、通り掛かった人が長年の持病平癒を祈願したところ全快したとして、以後、持病平癒地蔵尊として信仰を集めているそうです。
御朱印
本堂
本尊·薬師如来坐像(ネットから転載)
地蔵堂・持病平癒地蔵尊
雙林寺 参拝日 令和3年3月28日
京都十二薬師霊場第七番の御朱印を頂きました
本堂
京都十二薬師霊場宝印帖のページ
京都十二薬師霊場第七番の御朱印
京都一二薬師霊場、8つめのお参りは 第7番札所雙林寺。天台宗の寺院で、ご本尊は薬師如来。最澄作とも伝えられています。比叡山延暦寺の直末寺。
805年、最澄が桓武天皇の勅願によって創建
823年、比叡山延暦寺の別院となり、その後は鳥羽天皇の皇女綾雲女王、士御門天皇皇子静仁法親王が住職を務めるなど皇室との関わりも深い。
しかし、1335年の兵火により荒廃し、1585年、豊臣秀吉により本堂が再建されました。現在は本堂と飛地境内ある西行法師ゆかりの花月庵を残すだけとなっています。
八坂神社から、丸山公園を抜けてすぐの所にありますが、桜満開で、人・人・人で通り抜けるのに人苦労😢でした。
人混みを抜けた後、赤い案内の旗を見て安堵感が、ドドッーとおしよせてきました
本堂
御朱印
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