しょうれんいんもんぜき|天台宗
青蓮院門跡のお参りの記録一覧(4ページ目)
ここへは夜しか行ったことが無いのでなんとも言い難いのですが、夜半拝観が始まった頃だったかなぁ。
腕が無いので夜間撮影は酷いものでした。
普段から下手なのに更に下手と言う・・・。
まぁ、雰囲気だけ楽しんでください。
ここへ入る前、目の前を何故かキツネの花嫁さんと花婿さんを乗せた人力車が通って
「へ?」となりました(笑)
そういう演出だったようです。
夜のお寺さんをライトアップすると怪しさ満点です。竹藪から妖怪でも出て来そうな雰囲気。
中々好評だったようで今では定番化されているようですね。
梅が咲いていたんですよ。夜見る梅って・・・、
「よばい?」
「それはあかんやろ」
御本尊を表す梵字のभ्रूं
珍しいので読み方忘れてましたが
そういえば
ボロン ボロン…
と言いながらお参りした記憶が!w
寺紋の印
中央の縦3本線が表すものって
なんなのでしょう?
この御紋の呼び方もあると思って調べたのですが
わかりませんでした
印
粟田御所
十六葉八重表菊
青蓮院門跡
墨
梵字(ボロン) 熾盛光如来
京 粟田口
青蓮院門跡
Wikipediaによると、
梶井(現在の三千院)や妙法院と並ぶ天台宗の三門跡寺院。門跡寺院というのは、皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のこと。青蓮院も多くの法親王や入道親王(皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶)が門主(住職)を務めた、大変格式の高いお寺。
とのこと。
幕末、土佐勤皇党の平井収二郎は、青蓮院宮に令旨を請わり、土佐藩の藩政改革を図るが、藩主・山内容堂の逆鱗に触れて切腹。獄中の壁に爪で書いた遺書や、無念の意味を込めた十文字の切腹、妹の加尾(坂本龍馬の初恋の人)が墓石に刻んだ収二郎の言葉が藩の役人によって削られるなど、弾圧は凄惨を極める。やがて弾圧は武市半平太や岡田以蔵にも及ぶ。
それにしても紅葉はとても美しかった!
#青蓮院門跡
ご本尊は熾盛光如来マンダラ。熾盛光如来を中心に、一字金輪仏頂や仏眼仏母などを配したマンダラとのこと。ただし熾盛光如来だけ種子のボロンで表現しているそうだ。
#熾盛光如来 #熾盛光仏頂
消災呪や消災ダラニと呼ばれる呪文がある。一般的な仏様の真言よりはだいぶ長いが、息継ぎなしでも最後まで読み切れる程度のサイズだ。天台宗や真言宗の蛇腹型の経本にはだいたい載っている。疫病や天災や戦争と隣り合わせの今とあっては、「災いを消す」という文字づらだけでそそられるものがある。
ダラニ大辞典は熾盛光仏頂の真言として、消災呪と全く同じものを掲げる。
消災呪に関しては、真言陀羅尼の解説という本が非常に詳しい。熾盛光仏頂の真言という書き方はしていないが、唱える時はその像を安置せよとあるので、やはり彼専用の呪文であるようだ。
その修法について説明するのが仏説-熾盛光-大威徳-消災吉祥-ダラニ経という経典。それには、特に国家の大難と言えるような非常時、大きな声で消災呪を何度も一心に唱えれば、必ず国難は消え失せるとある、とのこと。
日本仏像大全書によれば、平安時代、鎮護国家などのため熾盛光如来を本尊として修法がとり行われたが、それは天台密教の最奥秘伝とされ、天皇のためだけに行われたと。
その儀式の場がまさにここ青蓮院門跡だったようなのだが、HPには断片的にしか記されていない。
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