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楽しみ方新長谷寺のお参りの記録一覧

新長谷寺(しんはせでら, 天台宗, 創建年代不詳) 本堂, 藤原山蔭が開山, 本尊は十一面観世音菩薩, 洛陽三十三観音霊場5番札所




新長谷寺(真如堂) 洛陽三十三観音霊場

新長谷寺(真如堂) 洛陽三十三観音霊場

新長谷寺(真如堂) 洛陽三十三観音霊場

新長谷寺(真如堂) 洛陽三十三観音霊場

新長谷寺(真如堂) 洛陽三十三観音霊場

新長谷寺(真如堂) 洛陽三十三観音霊場

紫陽花シーズンなので真如堂へ。バスで向かい、浄土寺で下車したので北側参道からの参拝になり、まずは参道近くの新長谷寺へ。開基は藤原山蔭卿。もともとは吉田神楽岡の山蔭邸付近にあったらしいが神仏分離によって真如堂内へ移設。その折法相宗から天台宗に改められたらしい。ではなぜ同じ法相宗だった清水寺などへ行かなかったのか?その理由が昨年の大河ドラマで吉田羊さんが演じられた藤原詮子によるらしい。真如堂が藤原詮子の離宮が創祀だが山蔭卿ゆかりの総持寺や新長谷寺も詮子が再興したという😲(総持寺は詮子の息子・一条天皇の御願寺になっている。)実は山蔭卿は詮子や藤原道長卿の母方(時姫)の曽祖父にあたるそうで歴史的にもちょっと重要な人物。清和天皇に仕え常に側近として要職に在りながら政争などには巻き込まれていない。その分知名度もいまいちなのだが「善く行くものは轍迹無し」というところなのでしょうね😌歴史を勉強すると神社仏閣めぐりが一段と楽しさを増します🤗
今は小さな本堂ながら立派な観音さま(御前立のようですが)がお迎えしてくれています🤗

境内

本堂

十一面観音(御前立)難陀龍王、雨宝童子

こちらも十一面観音。隣は摩利支天。

北辰鎮宅霊符神(妙見さん)

扁額。

御本堂を目指していると左手に新長谷寺様が見えてきます。
新長谷寺様は天台宗の御寺様です。
藤原山蔭が幼い頃、大荒れの海に転落したところ大亀に救われました。この亀は前日に山蔭の父である高房が漁師に捕らえられているところを助けてあげた亀でした。
山蔭は後妻を娶ったのですが、その後妻は先妻の子が疎ましく、海に突き落とすのですが、またもや自身を救ってくれた亀がその子を救ってくれます。
山蔭は二度も厄難を救ってくれた大亀は観音様の御加護だと感謝し、長谷寺様の十一面観音像を模造し、これを御本尊として吉田神楽岡の麓の邸宅に 新長谷寺を建立されました。
その後、明治の廃仏毀釈の時に真正極楽寺様の境内に移転されています。
この辺りの寺社を調べていると藤原山蔭の名前がよく出てきます。





京都市内の寺院巡りの2寺目は、真正極楽寺(真如堂)の境内に在る新長谷寺です。
天台宗で、本尊は十一面観音。
こちらも真如堂参拝時と同じく3年前の2021年11月15日に参拝していますので2度目になります。(前回分は投稿済ですので、宜しかったら見てやって下さい。)
洛陽三十三所観音霊場 第五番札所。
メインの参道沿いに在る訳ではないし、小さな寺号柱のため目立ちませんし、洛陽三十三所観音霊場を廻っている方を除いて殆どの方は知らないと思います。実際、手を合わせる方もごくごく僅かでした。
明治時代初期の神仏分離、廃仏毀釈で真如堂の境内に遷されました。お堂が1つあるのみで、戸口から格子越しに本尊・十一面観音立像が覗けます。なかなかの仏像だと思いますが無指定、近世に彫り直し等の改変がされているのでしょうか?
御朱印は真如堂で頂く事になりますが、前回頂いており、同じ御朱印だと思いますので、今回は頂いておりません。



本尊・十一面観音立像
(ネットから転載)

真正極楽寺の境内にあります。ですが塔頭ではないようです。
洛陽三十三所観音霊場第5番札所と書いてありました。
比較的新しそうな建物でした。
内陣が見えるようにしてくださっていたので 写真を撮らせていただきました。
観音様をしっかり拝顔できたので嬉しかったです。
御朱印について調べてみたら 真正極楽寺の本堂で拝受できると分かりましたので 再び本堂へ伺い 拝受できました。
由緒については
陽成天皇(貞観18年(876年)- 元慶8年(884年))の頃 西国に赴こうとしていた藤原高房がその途中で大きな亀を助けた。
その後高房の子藤原山蔭が航海中に海に落ちてしまったが その亀が山蔭を助けてくれたとする。
その数十年後 その山蔭が後妻と先妻の子を連れて九州におもむいた際 後妻が先妻の子を海に付き落とした。
すると またしてもあの大亀が現れてその子を助けてくれたとする。
この二度の出来事により 山蔭はあの亀は観音様が遣わしてくれたものに違いないと考え まず小さな観音像を二体製作し 一体は手元に置き もう一体を自領である摂津国島上郡のお堂(後の総持寺)に置いた。
そして長谷寺の十一面観音像と同じ大きな観音像を作り 更に八尺の観音像を御前立として吉田神楽岡の麓にある自邸に法相宗の新長谷寺を建立し 祀った。
明治時代に入り 廃仏毀釈で荒廃した後 付近の真如堂の境内地に移された。
とありました。

石柱

新緑の奥に本堂が見えます

碑

本堂のみです

比較的新しそうです

内陣の観音様

由緒書

ご詠歌

新長谷寺 令和4年10月29日
洛陽三十三所観音霊場第五番の御朱印を頂きました

洛陽三十三所観音霊場納経帖のページ

洛陽三十三所観音霊場第五番の御朱印
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