しんはせでら
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新長谷寺ではいただけません
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新長谷寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年05月30日(木)
参拝:2024年4月吉日
真正極楽寺の境内にあります。ですが塔頭ではないようです。
洛陽三十三所観音霊場第5番札所と書いてありました。
比較的新しそうな建物でした。
内陣が見えるようにしてくださっていたので 写真を撮らせていただきました。
観音様をしっかり拝顔できたので嬉しかったです。
御朱印について調べてみたら 真正極楽寺の本堂で拝受できると分かりましたので 再び本堂へ伺い 拝受できました。
由緒については
陽成天皇(貞観18年(876年)- 元慶8年(884年))の頃 西国に赴こうとしていた藤原高房がその途中で大きな亀を助けた。
その後高房の子藤原山蔭が航海中に海に落ちてしまったが その亀が山蔭を助けてくれたとする。
その数十年後 その山蔭が後妻と先妻の子を連れて九州におもむいた際 後妻が先妻の子を海に付き落とした。
すると またしてもあの大亀が現れてその子を助けてくれたとする。
この二度の出来事により 山蔭はあの亀は観音様が遣わしてくれたものに違いないと考え まず小さな観音像を二体製作し 一体は手元に置き もう一体を自領である摂津国島上郡のお堂(後の総持寺)に置いた。
そして長谷寺の十一面観音像と同じ大きな観音像を作り 更に八尺の観音像を御前立として吉田神楽岡の麓にある自邸に法相宗の新長谷寺を建立し 祀った。
明治時代に入り 廃仏毀釈で荒廃した後 付近の真如堂の境内地に移された。
とありました。
洛陽三十三所観音霊場第5番札所と書いてありました。
比較的新しそうな建物でした。
内陣が見えるようにしてくださっていたので 写真を撮らせていただきました。
観音様をしっかり拝顔できたので嬉しかったです。
御朱印について調べてみたら 真正極楽寺の本堂で拝受できると分かりましたので 再び本堂へ伺い 拝受できました。
由緒については
陽成天皇(貞観18年(876年)- 元慶8年(884年))の頃 西国に赴こうとしていた藤原高房がその途中で大きな亀を助けた。
その後高房の子藤原山蔭が航海中に海に落ちてしまったが その亀が山蔭を助けてくれたとする。
その数十年後 その山蔭が後妻と先妻の子を連れて九州におもむいた際 後妻が先妻の子を海に付き落とした。
すると またしてもあの大亀が現れてその子を助けてくれたとする。
この二度の出来事により 山蔭はあの亀は観音様が遣わしてくれたものに違いないと考え まず小さな観音像を二体製作し 一体は手元に置き もう一体を自領である摂津国島上郡のお堂(後の総持寺)に置いた。
そして長谷寺の十一面観音像と同じ大きな観音像を作り 更に八尺の観音像を御前立として吉田神楽岡の麓にある自邸に法相宗の新長谷寺を建立し 祀った。
明治時代に入り 廃仏毀釈で荒廃した後 付近の真如堂の境内地に移された。
とありました。
すてき
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くるくるきよせん2064投稿
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