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楽しみ方東寺鎮守八幡宮・東寺境内社八島殿のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年10月30日(木) 19時47分35秒
参拝:2025年9月吉日
こちらが別登録されているのを初めて知りました。
御朱印ある?のでしょうね。
登録されていたら投稿したくなります。
八幡社は南大門入って左手に 八島社は南大門入って右手に鎮座されています。
どちらも玉垣で囲まれた境内が広くて さすが東寺の境内社だと思います。
八幡社殿の説明書きには
796年創建。平安京と東寺を守護する為まつられたが 明治元年(1868年)焼失 平成3年に123年ぶりに再建。本尊は檜材の一木造りで 一本の巨木から弘法大師作と伝えられる 僧形八幡神座像と女神座像二躯が安置されている。足利尊氏が東寺を本陣としていた時 鎮守八幡宮の神殿から流鏑が新田勢に向かって飛び 勝利を収めた故事は余りにも有名である。
八幡宮の駒札には
鎮守八幡宮は弘仁元年(810)の薬子の変にさいして 弘法大師空海が八幡神をまつり 社を建立したことにはじまるとされています。
本尊の八幡三神像は 一本の霊木から三躯を造りだした貴重なもので 秘仏として早くから大切に伝えられてきました。
南北朝時代に東寺の内外で戦闘が行われた時 鎮守八幡宮から神矢が飛んで 東寺に陣をおいた足利尊氏が勝利しました。この戦勝にちなんで 以後 足利幕府は東寺を保護し 鎮守八幡宮はたいへん栄えました。
明治元年(1868)には 南大門や八島社とともに焼失するなどの憂き目をみましたが 平成四年(1992)に再建されました。
八島社殿の説明書きには
祭神は当時の地主神とも 大己貴神(おおなぬちのかみ)とも言われる。八島社と言うのはわが国を大八州瑞穂国(おおやしまみづほのくに)と言うところから起こった社号である。それゆえこの社は東寺以前より鎮座されており 弘法大師はこの神の夢想を被ってここに伽藍建立に先立ち この神へ寺門造立成就 方位安全 法道繁盛の祈願をされ 地主神とあがめられたと伝えられる。
御朱印ある?のでしょうね。
登録されていたら投稿したくなります。
八幡社は南大門入って左手に 八島社は南大門入って右手に鎮座されています。
どちらも玉垣で囲まれた境内が広くて さすが東寺の境内社だと思います。
八幡社殿の説明書きには
796年創建。平安京と東寺を守護する為まつられたが 明治元年(1868年)焼失 平成3年に123年ぶりに再建。本尊は檜材の一木造りで 一本の巨木から弘法大師作と伝えられる 僧形八幡神座像と女神座像二躯が安置されている。足利尊氏が東寺を本陣としていた時 鎮守八幡宮の神殿から流鏑が新田勢に向かって飛び 勝利を収めた故事は余りにも有名である。
八幡宮の駒札には
鎮守八幡宮は弘仁元年(810)の薬子の変にさいして 弘法大師空海が八幡神をまつり 社を建立したことにはじまるとされています。
本尊の八幡三神像は 一本の霊木から三躯を造りだした貴重なもので 秘仏として早くから大切に伝えられてきました。
南北朝時代に東寺の内外で戦闘が行われた時 鎮守八幡宮から神矢が飛んで 東寺に陣をおいた足利尊氏が勝利しました。この戦勝にちなんで 以後 足利幕府は東寺を保護し 鎮守八幡宮はたいへん栄えました。
明治元年(1868)には 南大門や八島社とともに焼失するなどの憂き目をみましたが 平成四年(1992)に再建されました。
八島社殿の説明書きには
祭神は当時の地主神とも 大己貴神(おおなぬちのかみ)とも言われる。八島社と言うのはわが国を大八州瑞穂国(おおやしまみづほのくに)と言うところから起こった社号である。それゆえこの社は東寺以前より鎮座されており 弘法大師はこの神の夢想を被ってここに伽藍建立に先立ち この神へ寺門造立成就 方位安全 法道繁盛の祈願をされ 地主神とあがめられたと伝えられる。
すてき
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くるくるきよせん2999投稿
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