はちまんぐう(きりくはちまんぐう・かじゅうじはちまんぐう)
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楽しみ方八幡宮(吉利倶八幡宮・勧修寺八幡宮)のお参りの記録一覧

西向寺お隣の参道から八幡宮へ。GoogleMapでは「吉利倶八幡宮」となってますが「八幡宮」のみが正式みたい。勧修寺の鎮守社だったので「勧修寺八幡宮」とも呼ばれるそうです。もう鳥居に着いたときからうっとり😍鳥居と階段の紅葉がとても良き。紅葉穴場認定です😊ちらほら参拝の方もおられたので地域に根付いた神社といった感じです。勧修寺鎮守であり、醍醐天皇や豊臣秀吉公ゆかりの神社でもあるようです。伏見城から北東、つまり鬼門方角なので重要視されたのでしょうね・・・願いかなわず伏見城は廃城となりましたが・・・😅本殿周りが紅葉なかったのが惜しいですかね。まあそれ目当てで手を合わせない人も出てきそうだからそれでいいのですが。摂末社と本殿お参り、社務所は閉まっていたので御朱印は残念😥末社に金山神社があるようなのですが見落としです😅

社号標

由緒3

二の鳥居。

手水舎

カメさん🤗

参道階段

天満宮鳥居

安産の神

天満宮

拝殿前参道階段

太閤燈籠

同由緒

布袋さんが二体

神器庫

閼伽井由緒

閼伽井。しっかりガードされてて見えない🐸

拝殿。白羽の矢が立ってます

阿

若宮社

本殿

吽

武内社


本殿内。三柱です。

拝殿前から

由緒1

由緒2

鳥居前紅葉

北参道一の鳥居

勧修寺の南に鎮座
八幡山(亀甲山)中腹にある。「山科八幡宮」、「種子(しゅじ)八幡宮」、「吉利倶(きりく)八幡」とも呼ばれていたようですが、今では 吉利倶八幡と呼ばれてます。地図などでは「八幡宮」と表示されている時もあります。
この日は残念ながら、社務所はお留守でした。
桜が綺麗らしいのでお花見がてらにお参りに来ようかと思います。






本殿北側の若宮八幡宮社。

金神宮 金山彦神 金山姫神


本殿南側の武内社。


御清井

御神木のスギ

太閤灯篭 (豊臣秀吉寄進の大型木造燈籠)祠の中


天満宮

安産の神


勧修寺、佛光院、宮道神社とお参りすると、少し先に朱の立派な鳥居が見えます。
八幡宮の鳥居です。社殿まではちょっと歩きます。
有名ではありませんが、平安時代初期の創建とのこと。
醍醐天皇が勧修寺の鎮守の神と定められたとのことです。
御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。
おそらく普段は無人かと思われますが、偶然この日は宮司様が境内の掃除をしておられ、お願いすると快く御朱印を書いてくださいました。
比較的お若い宮司様で、一生懸命に書いてくださる様子が印象的でした。
なお、ホトカミやGoogleマップでは『吉利倶八幡宮』となっていますが、正式名称は『八幡宮』だそうです。室町時代、幕府の後継問題にまつわる戰で勧修寺一帯が焼かれてしまいましたが、八幡宮本殿だけが焼け残り、身代わりのように御神木が枯れたような色になったため枝を切り払ったところ梵字のキリークが切り口に浮かびあがったことから『吉利倶八幡宮』とも呼ばれるようになったそうです。

一の鳥居

読みにくいですが由緒書き

二の鳥居と手水舎



本殿に登って行く途中にある天満宮

安産の神様がおわします

本殿

山科は小野地区の鎮守社。
社名の「吉利倶(きりく)」は、その昔ここにあった大木を切り倒した際、切り株に梵字の「キリーク」が現れたことに由来する。
創建は平安初期。この地を鎮護国家霊場とするために建てられた。
昔は勧修寺門跡の鎮守社であり、醍醐天皇がここの井戸水で身を清めたと伝えられている。
また、ここは太閤秀吉公が晩年に崇敬していた社であり、秀吉公の没後遺命によって寄進された木灯篭が今も残されている。
鳥居。
本殿前にはビッグ破魔矢が常設で安置されている。
太閤木灯篭。
地下鉄小野駅のトコに年間行事案内がありますよ。普段は無人社。
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