きりくはちまんぐう
吉利倶八幡宮のお参りの記録一覧
京都市山科区にある神社です。
正式名称は八幡宮だそうです。
江戸時代までは勧修寺の鎮守社だったそうです。
ご祭神は応神天皇・仲哀天皇・仲哀天皇皇后・神功皇后だそうです(曖昧)。
拝殿の前に大きな破魔矢が並んでいます。
なぜ破魔矢があるのか調べたのですが分かりませんでした。
令和の大修繕のため、本殿が工事中でした。
また、工事期間中、ご祭神は別の場所にお移りになっているようでした。
この日は社務所に人がおらず、詳しいお話は聞けませんでした。
由緒ある神社だということが分かりましたので、またお参りします。
勧修寺の南に鎮座
八幡山(亀甲山)中腹にある。「山科八幡宮」、「種子(しゅじ)八幡宮」、「吉利倶(きりく)八幡」とも呼ばれていたようですが、今では 吉利倶八幡と呼ばれてます。地図などでは「八幡宮」と表示されている時もあります。
この日は残念ながら、社務所はお留守でした。
桜が綺麗らしいのでお花見がてらにお参りに来ようかと思います。
本殿北側の若宮八幡宮社。
金神宮 金山彦神 金山姫神
本殿南側の武内社。
御清井
御神木のスギ
太閤灯篭 (豊臣秀吉寄進の大型木造燈籠)祠の中
天満宮
安産の神
勧修寺、佛光院、宮道神社とお参りすると、少し先に朱の立派な鳥居が見えます。
八幡宮の鳥居です。社殿まではちょっと歩きます。
有名ではありませんが、平安時代初期の創建とのこと。
醍醐天皇が勧修寺の鎮守の神と定められたとのことです。
御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。
おそらく普段は無人かと思われますが、偶然この日は宮司様が境内の掃除をしておられ、お願いすると快く御朱印を書いてくださいました。
比較的お若い宮司様で、一生懸命に書いてくださる様子が印象的でした。
なお、ホトカミやGoogleマップでは『吉利倶八幡宮』となっていますが、正式名称は『八幡宮』だそうです。室町時代、幕府の後継問題にまつわる戰で勧修寺一帯が焼かれてしまいましたが、八幡宮本殿だけが焼け残り、身代わりのように御神木が枯れたような色になったため枝を切り払ったところ梵字のキリークが切り口に浮かびあがったことから『吉利倶八幡宮』とも呼ばれるようになったそうです。
一の鳥居
読みにくいですが由緒書き
二の鳥居と手水舎
本殿に登って行く途中にある天満宮
安産の神様がおわします
本殿
山科は小野地区の鎮守社。
社名の「吉利倶(きりく)」は、その昔ここにあった大木を切り倒した際、切り株に梵字の「キリーク」が現れたことに由来する。
創建は平安初期。この地を鎮護国家霊場とするために建てられた。
昔は勧修寺門跡の鎮守社であり、醍醐天皇がここの井戸水で身を清めたと伝えられている。
また、ここは太閤秀吉公が晩年に崇敬していた社であり、秀吉公の没後遺命によって寄進された木灯篭が今も残されている。
鳥居。
本殿前にはビッグ破魔矢が常設で安置されている。
太閤木灯篭。
地下鉄小野駅のトコに年間行事案内がありますよ。普段は無人社。
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