じょうとくいん|浄土宗|荘厳山
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浄土宗特別大公開第二陣は浄篤院。昨年お詣りさせていただいたときに息子さんに譲るとお聞きしており、庫裏にて新住職さんが受付されていました😊特別公開での参拝は初めてですが境内撮影可とのこと😍御本尊の源義経公念持仏の阿弥陀如来や地蔵様などしっかり撮らせていただきました😊本堂には先代のお姿も🤗お元気そうでしたので少しだけお話させていただきました😊

社号標

参道

旅立ちの法然さま。ご住職が12歳の時の記念に作られたのだそう。

墓地参道に狛ヒツジ??

墓地の阿弥陀三尊

地蔵様

賓頭盧様

地蔵菩薩

五智如来画像

薬師如来

御本尊。源義経公念持仏の黒本尊

ヤブランとなんだろ?


鎮守社かな?

山門

続々と参拝者が。

京都市上京区にあるお寺です。
先に紹介させていただいた自性院のすぐ横にあります。
通りに面して山門がなく 石柱の横に車道があったので奥に進んでみました。
すぐ右手に建物があり 山門というのか小さな門がありました。
奥には本堂と境内摂社が見えました。
寺務所なのか庫裡なのか住居なのか 建物も見えました。
浄篤院(じょうとくいん)は浄徳院とも呼ばれたそうです。
正確な創建年は分かりませんでした。
山号は荘厳山 ご本尊は阿弥陀如来です。
1657年 闇霊により開かれたという。
南にある西蓮寺の住職が退隠した際の別院が浄篤院だったという。
200年前に本堂は大火により焼失してしまいました。
現在の本堂は1988年に建替えられたものです。
ご本尊の阿弥陀如来(80cm)は 平安時代の慈覚大師(794-864)の作と伝わります。
源義経(1159-1189)の念持仏とされています。
黒い色をしており「黒本尊」とも呼ばれます。
秘仏であり 開扉すると円町一帯に水が出たと『都名所図会』に記されているそうです。

石柱

車道から見る建物

こちらは本堂でしょうか

小さな門

境内摂社と寺務所?

洛陽四十八願第3番。きれいなお庭にヤブランが良き色付けをしておりました🤗ちょうどご住職がも出られたとのことでお参りと御朱印をいただきました😊御本尊の阿弥陀如来はもともと秘仏で先々代のときに開帳されたそう。それまでは御前立の阿弥陀様を拝めていたとのこと。秘仏になっていた理由なのかわかりませんがご住職によると源義経公の念持仏だと伝えられているとのこと😲ただ寺伝などの資料は焼失しているので確証がないのが残念なところ。浄土宗特別公開は今回参加されないとのことで、なんでも近々息子さんに住職を譲られるとのことで来年は参加するんではないかとのことでした。となると現ご住職の御朱印をいただけるのもあと少しかもと考えるとまたまたレアなタイミングでのお参りとなりました🤗ご縁に感謝です。




| 名称 | 浄篤院 |
|---|---|
| 読み方 | じょうとくいん |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-464-3000 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www15.plala.or.jp/jotokuin/index.html |
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 荘厳山 |
| 院号 | 浄篤院 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 創建時代 | 1604年(慶長9年) |
| 開山・開基 | 誾助(ぎんじょ)上人 |
| ご由緒 | 浄篤院は慶長9年(1604年)北野天満宮の南800mの地、鳳瑞町に誾助(ぎんじょ)上人によって創建されました。その後徳川家譜代の家臣である安藤対馬守(つしまのかみ)の帰依を得て、伽藍が拡張され寺門は繁栄しました。天明の大火(1788年)により寺勢は著しく衰微しましたが、昭和63年(1988年)には長年の悲願であった本堂が再建されました。その後、阿弥陀三尊永代供養墓の造立、檀信徒会館の改装、墓地の拡張、ペット供養墓の建立など伽藍の整備が進められています。
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| 体験 | 仏像御朱印 |
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