あんらくじてんまんぐう
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京都市上京区の大きくない寺社巡りです。
選佛寺の下手のブロックにあります。安楽寺天満宮のお隣にもう一つ天満宮がありました。
珍しいです。
境内社なら同じ天満宮を並べることもなかろうということで 別の神社という認識です。
こちら一ノ保天満宮は お引越しを何度かされてこちらに遷ってきたようです。
901年 菅原道真が太宰府へ権帥として左遷され その地で亡くなった。
その際に 道真に従った供の者たちは 道真没後に帰京した。
905年 道真の供の者たちにより 「右京一条二坊一保八町」(現在地)に 道真自作の木像を祀った。
神仏習合の「安楽寺天満宮」(大宰府天満宮の旧称)を建立した。
また 道真の霊を筑紫より迎えてこの地に祀ったともいう。
後に 北野天満宮7か所の御供所(北野御供七保社)の筆頭とされ 「一ノ保社」と呼ばれる。
1868年 神仏分離令後の廃仏毀釈により 神宮寺の安楽寺は廃寺になる。
1873年 社殿なども北野天満宮内に遷座され 一ノ保社(時鳥天神)が祀られた。
この時 近くに祀られていた文子天満宮 老松社も北野に遷された。
その後 再び現在の旧跡地に 有志により社殿が再建される。
北野天満宮より当社に分祀された。

石鳥居

祠ではなく石碑が残っている

不動石

巨木クスノキ ご神木か

京都市上京区の大きくない寺社巡りです。
選佛寺の1ブロック下手にひっそりと建つ神社です。
町中の神社にしては立派な石鳥居があり クスノキの巨木が目立ちました。
由緒書もしっかり残されており とても大切にされている神社だと分かります。
境内社として 熊鷹稲荷社と金咲稲荷社があります。
熊鷹稲荷社の祠には 紫色の雲の中に金色の狐の彫刻が彫られています。
立長大神 玉光大神 の碑も置かれていました。
ネットで調べたところ けっこう情報が載っていました。
由緒については
延喜5年 菅原道真の従者が道真の死後に大宰府から帰京し 従者の出自であった右京一条二坊一保八町に道真御自作の木像を祀った。
明治6年 北野天満宮内に遷座し 宝物や社殿を移した。
その後 近年旧跡地に現在の安楽寺天満宮が再建された。
北野天満宮の神域には 七つの「保」と呼ばれる地域があり 一之保から七之保まで七つの天満宮が鎮座していた。
各保には 北野神人という神事に奉仕する人々が居住し 神饌を供えていた。
安楽寺天満宮は「一之保」にあたり 境内には「一之保天満宮旧蹟」を示す石標がある。
安楽寺天満宮という名称は 延喜3年 道真が大宰府で死去した際 「私の亡骸は牛の車に乗せて 人に引かせずに 牛が自分で行くところで止めよ。」と遺言し その通り牛が止まったところを安楽寺として道真を葬ったことに由来する。
延喜19年 醍醐天皇の勅命により 安楽寺境内に太宰府天満宮が造営され 廃仏毀釈により安楽寺は廃寺になり 現在では太宰府天満宮だけが残る。
とありました。

正面石鳥居

由緒書


拝所 奥に本殿

本殿

まあまあ古い狛犬さん


摂社 熊鷹稲荷大明神

祠

由緒書

紫色の雲の中に金色の狐

選佛寺の鎮守社金咲稲荷社 祠と由緒書
| 名称 | 安樂寺天満宮 |
|---|---|
| 読み方 | あんらくじてんまんぐう |
| 通称 | 一之保天満宮舊址、時鳥(子規、ほととぎす)天満宮 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | な親鸞 |
詳細情報
| ご祭神 | 菅原道真公 |
|---|---|
| 創建時代 | 延喜5年(905) |
| 創始者 | 菅原道真公の従者 |
| ご由緒 | 延喜5年、菅原道真の従者が道真の死後に大宰府から帰京し、従者の出自であった右京一条二坊一保八町に道真御自作の木像を祀った。明治6年、北野天満宮内に遷座し、宝物や社殿を移した。その後、近年旧跡地に現在の安楽寺天満宮が再建された。
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