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こうせいいん|臨済宗保水山

廣誠院
京都府 京都市役所前駅

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年12月01日(月) 18時30分20秒
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京都市中京区にあるお寺です。
中京区もずいぶん歩き回ったのですが 未参拝寺社がまだありました。
関西地方の方ならご存じかも知れませんが がんこ寿司「高瀬川店」のすぐそばにあります。
こちらのお店はおススメですよ。
がんこ寿司はチェーン店で有名だと思うのですが こちらの高瀬川店だけは特別なお店です。
慶長十六年(1611年) 豪商 角倉了以の別邸として建築され 現在の『がんこ高瀬川二条苑』に至るまで 様々な著名人 資産家の別邸として脈々と受け継がれてきた風情と景観。
400余年に渡り丁寧に手入れを施してきた邸宅と庭苑は 貴重な文化財として 京都の人々はもとより 観光の皆様 外国の方々からも愛されています。
建物も立派ですが お庭がとても美しいです。
さて 廣誠院はそのお店と高瀬川を挟んだ西側にあります。
高瀬川一之舩入の史蹟もあります。
昔は豪邸のあった区画だったのでしょう。
残念ながら山門が閉じられていて中の様子は伺えなかったのですが 土塀の中はおそらく庭園が見事だろうと予想されるお寺です。

ネット情報です。
院号は廣誠院 宗派は臨済宗 創建年は昭和25年(1950年) 開基は伊集院兼常です。
創建者は 明治期に実業家としても活躍し 鹿鳴館の建築など建設業の発展に寄与した 旧薩摩藩士の伊集院兼常である。
現在では一部が改造されているものの 明治期の優れた数寄屋邸宅を伝える貴重な建造物として 京都市の有形文化財に指定されている。
併設する庭園は 高瀬川から引き込まれた水流が敷地内を縦断し ふたたび高瀬川に流れ出るつくりとなっており 建物と水流が融和する”近代京都造園”の草分け的な庭園とも言われており 京都市指定名勝に指定されている。
廣誠院は明治の建設業の発展を担った旧薩摩藩士 伊集院兼常により建てられました。
伊集院兼常は維新以後 実業家として会社社長を歴任し 鹿鳴館や宮家の御殿の建築にも携わった人物です。
書院 茶室 広間などからなり 庭園に面して配置されています。
柱に面皮柱を用いるなど 全体に数寄屋風の意匠でまとめられおり 一部が改造されているものの 明治期の優れた数寄屋邸宅として貴重な建物です。
後に廣瀬家の手にわたり 臨済宗の寺院として守り受け継がれてきました。
建物は京都市指定有形文化財に指定されています。

廣誠院(京都府)

山門は閉じられていました

廣誠院(京都府)

寺号標

廣誠院(京都府)

外観

廣誠院(京都府)

すぐ隣に高瀬川が流れています

廣誠院(京都府)

高瀬川一之舩入の史蹟です

廣誠院(京都府)

史蹟の説明

廣誠院(京都府)

船も置いてあります

廣誠院(京都府)

すぐそばに がんこ寿司「高瀬川店」

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廣誠院の基本情報

住所

京都府京都市中京区河原町通二条下ル東入ル一之船入町538-1

行き方

地下鉄「京都市市役所駅」下車 徒歩1分
市バス3・4・10・15・17・32・37・51・59・205・100系統「京都市役所前下車」徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称

廣誠院

読み方

こうせいいん

通称

広誠院

参拝時間

通常非公開(特別公開あり)

電話番号075-241-0511
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://kouseiin.org

詳細情報

ご本尊観世音菩薩
山号

保水山

宗旨・宗派臨済宗
創建時代

昭和25年

開山・開基

伊集院兼常 初祖:橋本峩山

文化財

庭園(京都市指定名勝)

ご由緒

廣誠院は、二条木屋町の高瀬側の基点、一之船入の南側に位置している。この地は、もと長州藩邸があったところで、一之船入を挟んで北側は旧角倉了以邸、高瀬側の東側は角倉の別邸であった。廣誠院については、中村昌生・矢ヶ崎善太郎両氏によるによる詳細な論説があり(『京の名邸宅』宅中村昌生編・毎日新聞社、1999年11月他)、まずはこれに従って沿革を記す。
 明治28年『新撰京都古今全図』(田中治兵衛編)には廣誠院の敷地は「伊集院邸」となっている。
 この「伊集院邸」は、建築や庭園、茶の湯に造詣が深かった伊集院兼常の邸宅で、その建設時期は明治25年頃とされ、現在の廣誠院の主体をなす書院や茶室、庭園などは兼常による造営である。尚、兼常は明治29年~同32年まで、現在の市田・對龍山荘の地を所有しており、この地から南禅寺へ移っている。
 廣誠院の建築はいわゆる寺院のそれではなく、数奇屋風の座敷(書院)と茶室からなる。庭園には高瀬川から引き込まれた大きくゆったりとした流れが敷地内をほぼ南北に縦断し、やがてふたたび高瀬川に流れ込こむ。石組みで護岸され、途中に石橋が渡されている。建築はその流れに沿うように雁行し、一部(茶室部分)は流れの上を跨ぐ構成である。この建築と庭園の主要部分が伊集院兼常によって造営されたものである可能性が夙に指摘されていた。
 伊集院が木屋町二条の別邸を手放した後、この地は明治29年(1896)7月滋賀県の下郷傳平の所有となり、同35年(1902)4月には廣瀬満正が所有した。満正ははじめ別邸として利用していたが、晩年は常の生活の場となり、昭和3年に死去後夫人う多(歌子)は私財を投じ財団法人廣誠会(理事長山崎益洲)とした後、昭和27年に満正の院号をとって宗教法人廣誠院(山号は保水山)に改組、臨済宗の単立寺院として現在にいたっている。

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