ちょうほうじ(ろっかくどう)|天台系単立|紫雲山
頂法寺(六角堂)京都府 烏丸御池駅
6:00〜17:00(納経時間 8:30〜17:00)
資料館9:00〜16:00(予約制)
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ちょうほうじ(ろっかくどう)|天台系単立|紫雲山
6:00〜17:00(納経時間 8:30〜17:00)
資料館9:00〜16:00(予約制)

境内に六角形の石があります。この石には、伝説があります。時は遡り、平安京造営の頃。道路を計画したちょうどその場所にお寺さんのお堂が建っていました。そこで、お祈りしたところ、お堂が少し北の現在建っている場所に移動し、お堂があった地にポツンと石が残されていたとのこと。🤔
お参りする時、なぜかこの石が気になり見てしまいます。🤭
山号:紫雲山
宗派:天台宗 単立
ご本尊:如意輪観世音菩薩
創建:伝587年(用明天皇2年)
【本堂】
ご本尊は、秘仏。厨子の中に安置されています。🙏
へそ石
縁結びの六角柳
【北向き地蔵】
聖徳太子が沐浴してとされる池
白鳥がゆうゆうと泳いでいます。😌
【十六羅漢】
イチョウと本堂

京都市中京区にあるお寺です。
山号は紫雲山
宗旨宗派は天台宗単立
ご本尊は如意輪観音(秘仏)
です。
聖徳太子ゆかりのお寺で、1400回忌の年なので、お参りしました。
かわいらしい十六羅漢さんがお迎えしてくれます。
二度目のお参りでしたが、一言願い地蔵や親鸞堂を見るのは初めてでした。
ウィキペディアから借稿です。
敏達天皇の時代、淡路国岩屋浦に黄金如意輪観音像が漂着した。
この像は、聖徳太子が前世に唐土にあって仏道修行していた時に信仰していた像であり、太子はこの観音像を念持仏とした。
これが後の頂法寺本尊である。
太子は16歳のとき、排仏派の物部守屋討伐にあたって、護持仏に「無事討伐できたならば、仏の功徳に感謝して四天王寺を建立いたします」と戦勝祈願したところ勝利した。
そして、寺建立のための用材を求め、小野妹子とともにこの地を訪れた。
その際、太子は池で水浴をするため、傍らの木の枝の間に持仏の如意輪観音像を置いておいたところ、像は重くなり動かなくなってしまった。
観音像は光明を発し、自分は七生にわたって太子を守護してきたが、今後はこの地にとどまり衆生を済度したいと告げた。
そこで太子は、四神相応のこの地に伽藍を建てることとした。
東からやってきた老翁(鎮守神の唐崎明神)が、紫雲たなびく杉の霊木のありかを教えてくれたので、その材を用いて六角形の堂を建立したのがこの寺の始まりである。
とても古い歴史をもつお寺ですね。
親鸞聖人が百日の間この六角堂で過ごされ、後に浄土真宗の開祖となられたということで、親鸞聖人ともつながりの深いことが分かります。
近くにコインパーキングもありますので、車でのお参りもできます。
拝受品も多く、参拝者はとても多いです。
淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子は、用明天皇2年(587)、四天王寺建立の材木を求め、京都盆地を訪れました。太子が池で身を清めるにあたり、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したといわれます。
正式な寺号は頂法寺ですが、御堂の形から「六角堂」「六角さん」と呼ばれ、親しまれています。門前を東西に走る道も六角通りといいます。
| 住所 | 京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町 |
|---|---|
| 行き方 | 京都市営地下鉄「烏丸御池」駅5番出口から徒歩3分
|
| 名称 | 頂法寺(六角堂) |
|---|---|
| 読み方 | ちょうほうじ(ろっかくどう) |
| 通称 | 六角堂 |
| 参拝時間 | 6:00〜17:00(納経時間 8:30〜17:00)
|
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり 通常は、4種類の御朱印をいただけます。
|
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 075-221-2838 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.ikenobo.jp/rokkakudo/ |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| 聖徳太子霊跡 第25番 | 仏さま:如意輪観音 |
|---|---|
| 西国三十三所霊場 | |
| 洛陽三十三所観音霊場 | |
| 数珠巡礼 第3番 |
| ご本尊 | 如意輪観音像 |
|---|---|
| 山号 | 紫雲山 |
| 宗旨・宗派 | 天台系単立 |
| 創建時代 | 用明天皇二年(587) |
| 開山・開基 | 聖徳太子 |
| 文化財 | 毘沙門天立像(国指定重要文化財)
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| ご由緒 | 淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子は、用明天皇2年(587)、四天王寺建立の材木を求め、京都盆地を訪れました。太子が池で身を清めるにあたり、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したといわれます。
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| 体験 | 御朱印博物館重要文化財札所・七福神巡り |
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