しょうこくじ(しょうこくしょうてんぜんじ)|臨済宗相国寺派大本山|萬年山
相国寺(相国承天禅寺)のお参りの記録一覧(3ページ目)
京都御苑の近辺をお参りしてまわりました。
こちらは相国寺さんで臨済宗相国寺派の大本山です。
有名な金閣寺・銀閣寺はこちらの塔頭寺院です。
当日は3つの特別公開を開催してました。
総門
後水尾天皇髪歯塚
法堂
護国廟(八幡宮)
天響楼
方丈内のお庭(表)
方丈内のお庭(裏)
総務本所
弁天社
宗旦稲荷社
鐘楼
ご朱印
末寺の鹿苑寺さん(金閣)、慈照寺さん(銀閣)は参拝済みでも肝心の総本山の相国寺さんには初めての参拝です。
といっても丁度、伊藤若冲ブームのころで相国寺承天閣美術館に若冲の展示会をメインで来ています。
展示を拝見した後に周囲をウロウロしてみると、大徳寺さんのように境内が広すぎてもはや交通インフラの一部になっている感じです。
「相国」というのは開基の足利義満が天皇(皇帝)の補佐をし実権を握っていたので、中国でそれに相当する「相国」からとられているそうです。日本だと「太政大臣」に相当する官位のようです。
以前、中国制作の三国志をみていると、滅亡寸前の漢王朝の実権を握った董卓が「相国」と呼ばれていました。
同じような立場だった曹操は「丞相」と呼ばれていたように思うので調べてみると、もともとは「相国」のほうが位が上だったものの、その後「丞相」も「相国」と呼ばれるようになったとのこと。ちなみに英語だと prime minister や chancellor に相当する表現になると思います。
同志社大学に隠れてたたずむ大きなお寺です。
金閣寺・銀閣寺はここの塔頭。ここが所有しているお寺です。
「足利歴代将軍が創建した禅宗寺院として、本山である相国寺の塔頭寺院となり今に至っています。
そして現在においては、相国寺の山外塔頭として相国寺僧侶が任期制をもって
相国寺とともに金閣寺、銀閣寺の運営と後世への継承にあたっています。」とHPにも書かれてあります。
ここへ来たのは通常拝観に加え若冲の作品を見せて頂くためです。
若冲とこのお寺さんとは深い縁があります。
若冲はここの住持大典(だいてん)和尚と深い交遊関係を結んでいたのだそうで、様々な仏教画を見てそれを題材に絵も仕上げていったのだそうです。後に「動植綵絵(サイエ)」30幅(のち宮内庁に献上)と『釈迦三尊図』3幅対を寄進し、鹿苑寺大書院の障壁画を手掛けたんだそうですが、それ以外にも結構な作品をこのお寺さんに寄進されていたそうです。
そしてあの廃仏毀釈。
このお寺も相当痛い思いをされたようで、とにかく資金繰りがつかない。その時若冲の残した絵を少しずつ売ることによって難を逃れたと聞きました。そういういきさつもあり、若冲の回忌にはいつもこちらで法要が行われるそうです。
総門
鐘楼
庫裏
浴室
浴室
浴室
浴室
承天閣美術館
法堂
開山堂
経堂
塔頭・瑞春院(雁の寺)作家水上勉は9歳の時、瑞春院で得度し13歳まで修行後寺を出奔。諸所を放浪遍歴、やがて作家生活に入った。直木賞受賞作品『雁の寺』に登場する雁の襖絵が、この瑞春院の襖絵をモデルにしていることから、雁の寺として世に知られるようになった。現在もその雁の襖絵八枚が当時の儘に残っているといわれる。現在は拝観できるかどうかは分からないので、直接お尋ね下さい。
左下の印の承天閣
正式名が相国承天禅寺だから?
承天閣美術館で頂いたから?
当時のことを何も覚えていなくて
どちらなのかわからないままですw
印
萬年山
仏法僧宝
相国寺承天閣
墨
釈迦如来
相国寺
地下鉄烏丸線「今出川駅」下車徒歩3分。
臨済宗の総本山寺院。ご本尊は釈迦如来です。
1382年、足利義満が後小松天皇の命により幕府の東側に創建された京都五山第二位の総本山。
学生時代には、恐らく一番お世話になった寺院。「洋館」の裏手は禅宗寺院の総本山とを自転車でほぼほぼ毎日通り過ぎていました。
しばらく足が遠のきましたが、毎年春と秋の特別公開での裏方丈の庭園がお気に入りの場所。
ゆっくり境内を散歩して、約40年前の学生時代にタイムトラベルした気分でした。
最寄駅から今出川通を東へ。同志社の建物が並ぶ参道を入ると大きな山門が見えてきました。
裏方丈の小さな庭園。奥行きは狭いですが、横に長い分サラウンドな広がりが感じられます。
方丈前の庭園。勅使門越しに特別公開の講堂が見えます。
講堂です。天井画の鳴き龍があります。
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