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しょうこくじ(しょうこくしょうてんぜんじ)|臨済宗相国寺派萬年山

相国寺(相国承天禅寺)の御由緒・歴史
京都府 今出川駅

ご本尊釈迦如来
創建時代永徳二年(1382)
開山・開基足利義満
ご由緒

臨済宗相国寺は、金閣寺を建立したことで有名な足利三代将軍・義満が発願し、後小松天皇の勅命を受け、1392(明徳3)年に完成しました。境内には13の塔頭寺院があります。また、山外塔頭として、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、真如寺があります。
応仁の乱の兵火により諸堂宇は灰燼に帰しましたが、禅宗行政の中心地として多くの高僧を輩出し、室町時代の禅文化の興隆に貢献しました。後に豊臣氏、徳川氏の外護を受け、伽藍も整備されましたが、天明の大火で再び焼失。その後、1807(文化4)年にようやく旧観を復興するに至りました。秋になると、門から法堂までの参道は赤く色づき、紅葉を楽しむことができます。

歴史
歴史[編集] 永徳2年(1382年)、室町幕府第3代将軍足利義満は、花の御所の隣接地に一大禅宗伽藍を建立することを発願した。その地はかつて行基により創建された出雲寺(現・毘沙門堂。出雲寺は現・上京区毘沙門町にあった)や、法然が住していた賀茂の釈迦堂(現・百万遍知恩寺)が建っていた場所であるが、当時は安聖寺や公家の屋敷が建てられていたのでそれらを移転させている。こうして新たな寺院が建立されることとなり、その名称は、春屋妙葩が開基である足利義満が唐名では「相国」と呼ばれる職である左大臣に任じられていたことから相国寺を推し、また、義堂周信が明には五山制度の始まりの寺院である大相国寺があり、それ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報相国寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%9B%B8%E5%9B%BD%E5%AF%BA&oldid=99446949

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