せいでんえいげんいん|臨済宗建仁寺派
正伝永源院のお参りの記録一覧
京都市東山区にあるお寺です。
宗旨宗派は臨済宗建仁寺派
寺格は建仁寺塔頭
正伝永源院は、かつては正伝院と永源庵という別々の寺院でした。
正伝院は、文永年間(1264 〜 1275)に中国から来日した僧 義翁紹仁を開山として創建されました。
天文年間(1532 〜 1555)以降に荒廃していたが、元和四年(1618)に織田信長の実弟 織田有楽斎(おだうらくさい)によって再興されました。
有楽斎は茶室「如庵」を建立するなど、正伝院を隠居所として生涯を過ごしました。
永源庵は正平年間(1346 〜 1370)に建仁寺 三十九世 無涯仁浩が清水坂の辺りに創建した寺院で、熊本細川家の始祖である細川頼有の帰依を受けて繁栄しました。
後に明治維新が始まると建仁寺の寺領は大幅に削減され、無住の寺となっていた永源庵の境内に正伝院が移転しました。
永源庵が細川家の菩提寺であることから「永源」の名を紡ぐため現在の「正伝永源院」と改称されました。
正伝永源院の庭園は春のツツジと秋の紅葉が美しいです。
また公開期間には狩野山楽の襖絵などの宝物も鑑賞できます。
新緑庭園の公開を狙っていたのですが、残念ながら1週間前に終わっていました。
1週間前とは本当に残念でした
臨済宗の総本山である建仁寺の塔頭の一つ。少し離れた境外にあります。
ご本尊は釈迦如来です。
織田信長の弟で茶人の織田有楽斎が再興した「正伝院」と熊本藩主細川家の菩提寺である「永源庵」が明治時代に一つの寺院にまとめられました。
小さい寺院ですが、侘びと寂びの世界を肌で堪能させていただきました。
四条通から花見小路を下ると正面が建仁寺にあたります。
その門前の手前を西に入ります。
山門です。
この裏手が方丈にあたります。
蠟梅でしょうか?まだまだ寒そうでした。
織田有楽斎とその妻のお墓です。
織田長好と正室のお墓です。
二つの寺院が合併しました。扁額です。
方丈の襖絵は、元総理大臣の細川護煕氏が描いたものです。
方丈前の庭園です。
背の低いタイプの蹲。こういう形の「蹲」はあまり見たことがありません。
武野紹鴎(たけのじょうおう)の供養塔です。堺の豪商で千利休の茶人の師。
450年前に建立されましたが、明治時代の神仏分離の影響で藤田観光の藤田家が入手して大阪に置かれていました。
今回、親会社の倒産により昨年の11月に100年ぶりに戻ってきました。また織田有楽斎が亡くなってから400年の節目でもありました。
この供養塔は、正面からしかはっきりと見ることが出来ません。
左右によって見ると、樹木で遮ってしまいます。(右端から)
正伝院が再興された時に造られた茶室「如庵」。平成8年に復元されたものです。
奥の掛け軸は、おそらく織田有楽斎かと思います。
何度か前を通っていましたが、通常非公開納経所お寺。第56回京の冬の旅で、ちょうど1/8〜公開されているのを知り、ネットで事前予約。
予約なしでも空いていれば拝観できるということですが、時節柄予約しなくても全く問題なく拝観できました。
狩野三楽と細川護煕の障壁画を見ることができ、狩野三楽のものは撮影不可ですが、細川元総理納経所方は撮影可能。
何人か参拝客はいましたが、ガイドの方が複数おり専属で解説していただけました。
お寺の御朱印帳はまだ未使用ページは残っていますが、拝観後授与所にて御朱印2種と御朱印帳拝受。
御朱印帳 表
御朱印帳裏面
拝観券 第56回 京の冬の旅
2022/1/8〜3/18
明治新政府の断行した廃仏毀釈・その主たる目的は神仏分離政策による、仏教排斥運動
明治政府は欧州に追いつこうと頑張ったことは今に繋がる凄い事だとは思うのですが、これを提案した奴は誰だったのか、調べて晒してやるーーー!!って思うほど腹立つ条例です。
国家神道を決める必要性が何処にあったのか。日本は単一宗教が出来る国民性では無いと過去の歴史を見ればわかるはずなのに、出来ると思ったんでしょうね。だからって排斥するとか日本人の怒りを買わなかったのかと思ってしまうんですよ。この田舎侍が!!
過去最悪の愚策でした。
で、ここもその所為でえらいことになってしまった一つです。もう、先人の遺骨なんか知らんわいと言わんガばかりの愚策(何度でも言いますよ、ええ)
まぁ、怒りはそのあたりにしておいて(苦笑)
東京の「有楽町」の名前の語源となった、織田有楽斎のお墓がある場所です。
そして細川家と深く関わりのあるお寺さんです。
有楽斎は信長の兄弟だったんですけどね、とにかく争いごとが苦手で苦手で(笑)どうやれば戦から逃れる事が出来るか日々そればっかり考えていた趣味人です(笑)
まぁ、人には得手不得手と言うのがあるもので、信長の兄弟だから戦が出来るというのは夢幻でして、信長死後、嬉々として一線を退き趣味人としての道を進んでいった人です。
普段は非公開なので特別拝観で開くと言うのでお参りしました。
えっと、これも古いです(笑)2004年の写真ですので今がどうなっているか分かりません。
唐門
茶室「如庵」明治のごたごたの時これは祇園町有志に払い下げられますが、1996年に復元、建立されました。
織田有楽斎のお墓
有楽斎の妻のお墓
細川家代々の供養塔
細川家代々の供養塔
福島正則並びに家臣のお墓
織田長好のお墓 有楽斎の孫 茶の湯「有楽流」を継承した。
有楽斎の孫娘 一条関白の正妻
右上の印の一文字目,正だと思うんですけど…?
人文学オープンデータ共同利用センターの篆書データベース検索にはこの形が無いんですよね…
印-正(?)伝有楽 正伝永源禅院
墨-如庵 正伝永源院
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