御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
正伝永源院ではいただけません
広告

せいでんえいげんいん

正伝永源院のお参りの記録(1回目)
京都府祇園四条駅

投稿日:2017年09月18日(月)
参拝:2004年10月吉日
明治新政府の断行した廃仏毀釈・その主たる目的は神仏分離政策による、仏教排斥運動
明治政府は欧州に追いつこうと頑張ったことは今に繋がる凄い事だとは思うのですが、これを提案した奴は誰だったのか、調べて晒してやるーーー!!って思うほど腹立つ条例です。
国家神道を決める必要性が何処にあったのか。日本は単一宗教が出来る国民性では無いと過去の歴史を見ればわかるはずなのに、出来ると思ったんでしょうね。だからって排斥するとか日本人の怒りを買わなかったのかと思ってしまうんですよ。この田舎侍が!!
過去最悪の愚策でした。

で、ここもその所為でえらいことになってしまった一つです。もう、先人の遺骨なんか知らんわいと言わんガばかりの愚策(何度でも言いますよ、ええ)

まぁ、怒りはそのあたりにしておいて(苦笑)
東京の「有楽町」の名前の語源となった、織田有楽斎のお墓がある場所です。
そして細川家と深く関わりのあるお寺さんです。

有楽斎は信長の兄弟だったんですけどね、とにかく争いごとが苦手で苦手で(笑)どうやれば戦から逃れる事が出来るか日々そればっかり考えていた趣味人です(笑)
まぁ、人には得手不得手と言うのがあるもので、信長の兄弟だから戦が出来るというのは夢幻でして、信長死後、嬉々として一線を退き趣味人としての道を進んでいった人です。

普段は非公開なので特別拝観で開くと言うのでお参りしました。
えっと、これも古いです(笑)2004年の写真ですので今がどうなっているか分かりません。
正伝永源院の山門
唐門
正伝永源院の建物その他
茶室「如庵」明治のごたごたの時これは祇園町有志に払い下げられますが、1996年に復元、建立されました。
正伝永源院の庭園
正伝永源院のお墓
織田有楽斎のお墓
正伝永源院のお墓
有楽斎の妻のお墓
正伝永源院のお墓
細川家代々の供養塔
正伝永源院のお墓
細川家代々の供養塔
正伝永源院のお墓
福島正則並びに家臣のお墓
正伝永源院のお墓
織田長好のお墓 有楽斎の孫 茶の湯「有楽流」を継承した。
正伝永源院のお墓
有楽斎の孫娘 一条関白の正妻

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
正伝永源院の投稿をもっと見る21件
コメント
お問い合わせ