しょうでんえいげんいん
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正傳(正伝)永源院ではいただけません
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正傳(正伝)永源院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年01月27日(木)
参拝:2022年1月吉日
臨済宗の総本山である建仁寺の塔頭の一つ。少し離れた境外にあります。
ご本尊は釈迦如来です。
織田信長の弟で茶人の織田有楽斎が再興した「正伝院」と熊本藩主細川家の菩提寺である「永源庵」が明治時代に一つの寺院にまとめられました。
小さい寺院ですが、侘びと寂びの世界を肌で堪能させていただきました。
ご本尊は釈迦如来です。
織田信長の弟で茶人の織田有楽斎が再興した「正伝院」と熊本藩主細川家の菩提寺である「永源庵」が明治時代に一つの寺院にまとめられました。
小さい寺院ですが、侘びと寂びの世界を肌で堪能させていただきました。
四条通から花見小路を下ると正面が建仁寺にあたります。
その門前の手前を西に入ります。
山門です。
この裏手が方丈にあたります。
蠟梅でしょうか?まだまだ寒そうでした。
織田有楽斎とその妻のお墓です。
織田長好と正室のお墓です。
二つの寺院が合併しました。扁額です。
方丈の襖絵は、元総理大臣の細川護煕氏が描いたものです。
方丈前の庭園です。
背の低いタイプの蹲。こういう形の「蹲」はあまり見たことがありません。
武野紹鴎(たけのじょうおう)の供養塔です。堺の豪商で千利休の茶人の師。
450年前に建立されましたが、明治時代の神仏分離の影響で藤田観光の藤田家が入手して大阪に置かれていました。
今回、親会社の倒産により昨年の11月に100年ぶりに戻ってきました。また織田有楽斎が亡くなってから400年の節目でもありました。
450年前に建立されましたが、明治時代の神仏分離の影響で藤田観光の藤田家が入手して大阪に置かれていました。
今回、親会社の倒産により昨年の11月に100年ぶりに戻ってきました。また織田有楽斎が亡くなってから400年の節目でもありました。
この供養塔は、正面からしかはっきりと見ることが出来ません。
左右によって見ると、樹木で遮ってしまいます。(右端から)
左右によって見ると、樹木で遮ってしまいます。(右端から)
正伝院が再興された時に造られた茶室「如庵」。平成8年に復元されたものです。
奥の掛け軸は、おそらく織田有楽斎かと思います。
すてき
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