まりしてんどう ぜんきょあん|臨済宗建仁寺派大本山建仁寺塔頭
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楽しみ方摩利支天堂 禅居庵のお参りの記録一覧(4ページ目)

元弘年間(1331年~1333年)、信濃守護の小笠原貞宗が、自身が帰依している南禅寺住持の清拙正澄(大鑑禅師)のために、建仁寺の塔頭として創建した。本尊は聖観音菩薩であるが、他にも清拙正澄が鎌倉時代末期に来日する際に元で自らが作ったとされる摩利支天を祀る摩利支天堂がある。
摩利支天(まりしてん, 梵: Mārīcīマーリーチー。訳:陽炎、威光)は、仏教の守護神である天部の一尊。
梵天の子、または日天の妃ともいわれる。
摩里支菩薩、威光菩薩とも呼ばれる。
摩利支天(マーリーチー)は陽炎、太陽の光、月の光を意味する「マリーチ」(Marīci)を神格化したもので、由来は古代インドの『リグ・ヴェーダ』に登場するウシャスという暁の女神であると考えられている。
陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。
護身や蓄財などの神として日本で中世以降信仰を集めた。楠木正成は、兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就や立花道雪は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。
山本勘助や前田利家や立花宗茂といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。
禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。
日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、その実例として、木曽御嶽山(摩利支天山)、乗鞍岳(摩利支天岳)、甲斐駒ヶ岳があげられる。
タイ捨流剣術では、現在でもなお、「タイ捨流忍心術」摩利支天経を唱えてから稽古や演武に入る。
日本には忍者が結ぶ印の基になった、戦場に臨む武士が行う修法「摩利支天の法」(まりしてんのほう)が存在し、摩利支天は武士の守り本尊として鎌倉時代から武士に人気があった。方法は、右手と左手の人差し指と中指をそれぞれ立て、右手を刀、左手を鞘に見立て、右手で空中を切る。
空中を切った後、刀に見立てた右手指は、鞘に見立てた左手に納める。
動画はYouTubeにて公開🙏😌🌿
奉拝

書き置きですが日付は入れていただけます。

日本全国で見ても数少ないお祀りされている摩利支天の一寺

建物としては摩利支尊天堂のみ一般公開されている。
境内には狛猪を始めとして数多くの猪の像や彫刻があり、摩利支天像が猪に乗っていることに由来している。

京都府指定文化財
摩利支天堂 - 天文16年(1547年)再建

所狭しと狛猪がある。








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