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圓徳院ではいただけません
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えんとくいん|臨済宗建仁寺派高台寺塔頭

圓徳院
京都府 祇園四条駅

午前10:00~午後5:00受付終了(午後5:30閉門)

圓徳院について

秀吉の正妻・ねねの終焉の地

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年10月01日(火)
2013投稿

清水寺にお参りした帰り 落ち着いた雰囲気を味わいたいと 圓徳院にお参りしました。
投稿するのは2回目かな。でも何回かお参りしています。
豊臣秀吉の正室・北政所が晩年に自身の本拠地としたことで知られます。
一説にはその終焉の地ともいわれています。
こちら圓徳院さんの北書院と北庭が大好きなんです。
北庭は国指定の名勝であり 桃山時代の枯山水庭園の典型的なお庭です。
ほんと 畳に腰を下ろしゆったりお庭を見ていると 心がすうっと落ち着きます。

宗旨宗派は臨済宗建仁寺派 寺格は高台寺塔頭 ご本尊は釈迦如来 創建年は寛永9年(1632年) 開山は三江紹益です。

由緒については
豊臣秀吉の没後 正室の北政所は 慶長8年(1603年)に朝廷から「高台院」の号を勅賜されると 秀吉の菩提を弔おうと寺院の建立を発願し徳川家康もその建立を支援した。
家康と高台院は 現在高台寺や圓徳院があるこの地にあった岩栖院を南禅寺の境内に塔頭として移転させると 慶長10年(1605年)に高台院は実母である朝日局が眠る康徳寺(現・上京区上御霊馬場町にあった)をこの地に移転させて 新たな寺院・高台寺を建立し その境内を整えていった。
その際 高台院は高台寺の西側に自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営することとし 同年に伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭をこの地に移築して自らの邸宅・高台院屋敷とした。
翌慶長11年(1606年)に高台寺は完成している。
高台院は没するまでの19年間を高台院屋敷と高台寺で過ごすと 寛永元年(1624年)9月6日に屋敷で亡くなった。
寛永9年(1632年) 高台院屋敷は木下利房によって高台寺の三江紹益を開山として高台寺の塔頭・圓徳院に改められた。
以降は木下家の菩提寺となった。
とありました。

圓徳院(京都府)

由緒書

圓徳院(京都府)

外門

圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)

秀吉公好み手水鉢

圓徳院(京都府)

本堂前庭

圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)

五体投地の作法

圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)

雪月花の襖絵

圓徳院(京都府)

圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)

北庭

圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)

ここが好きです

圓徳院(京都府)

桧垣の手水鉢

圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)
圓徳院(京都府)

大黒天

圓徳院(京都府)

内陣

圓徳院(京都府)

食べる御朱印 についてくる飴

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歴史

 豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。
 それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。ねね58歳の時のことです。
 これが今日の圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、ここは北政所の終焉の地となりました。
 そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされました。寛永9年、ねねの没後9年目のことです。

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圓徳院の基本情報

住所京都府京都市東山区下河原町530
行き方

京都市バス「東山安井」下車徒歩7分

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名称圓徳院
読み方えんとくいん
参拝時間

午前10:00~午後5:00受付終了(午後5:30閉門)

参拝料

大人500円、中高生200円、団体(30名以上)400円。高台寺・掌美術館・圓徳院共通拝観券900円

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号075-525-0101
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.kodaiji.com/entoku-in/idx.shtml

巡礼の詳細情報

数珠巡礼

第6番

詳細情報

ご本尊釈迦如来
院号圓徳院
宗旨・宗派臨済宗建仁寺派高台寺塔頭
創建時代1632年(寛永9年)
開山・開基木下利房/三江紹益
ご由緒

 豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。
 それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。ねね58歳の時のことです。
 これが今日の圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、ここは北政所の終焉の地となりました。
 そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされました。寛永9年、ねねの没後9年目のことです。

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Wikipediaからの引用

概要
圓徳院(えんとくいん、常用漢字体:円徳院)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。高台寺の塔頭。本尊は釈迦如来。豊臣秀吉の正室・北政所が晩年に自身の本拠地としたことで知られるほか、一説にはその終焉の地ともいう。所蔵されている三面大黒天は秀吉の念持仏と伝わるものである。
歴史
歴史[編集] 豊臣秀吉の没後、正室の北政所は、慶長8年(1603年)に朝廷から「高台院」の号を勅賜されると、秀吉の菩提を弔おうと寺院の建立を発願し徳川家康もその建立を支援した。 家康と高台院は、現在高台寺や圓徳院があるこの地にあった岩栖院を南禅寺の境内に塔頭として移転させると、慶長10年(1605年)に高台院は実母である朝日局が眠る康徳寺(現・上京区上御霊馬場町にあった)をこの地に移転させて新たな寺院・高台寺を建立し、その境内を整えていった。 その際、高台院は高台寺の西側に自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営することとし、同年に伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭をこの地に移築して自ら...Wikipediaで続きを読む
引用元情報圓徳院」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%9C%93%E5%BE%B3%E9%99%A2&oldid=99879961
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