えんとくいん|臨済宗建仁寺派高台寺塔頭
圓徳院京都府 祇園四条駅
午前10:00~午後5:00受付終了(午後5:30閉門)
清水寺にお参りした帰り 落ち着いた雰囲気を味わいたいと 圓徳院にお参りしました。
投稿するのは2回目かな。でも何回かお参りしています。
豊臣秀吉の正室・北政所が晩年に自身の本拠地としたことで知られます。
一説にはその終焉の地ともいわれています。
こちら圓徳院さんの北書院と北庭が大好きなんです。
北庭は国指定の名勝であり 桃山時代の枯山水庭園の典型的なお庭です。
ほんと 畳に腰を下ろしゆったりお庭を見ていると 心がすうっと落ち着きます。
宗旨宗派は臨済宗建仁寺派 寺格は高台寺塔頭 ご本尊は釈迦如来 創建年は寛永9年(1632年) 開山は三江紹益です。
由緒については
豊臣秀吉の没後 正室の北政所は 慶長8年(1603年)に朝廷から「高台院」の号を勅賜されると 秀吉の菩提を弔おうと寺院の建立を発願し徳川家康もその建立を支援した。
家康と高台院は 現在高台寺や圓徳院があるこの地にあった岩栖院を南禅寺の境内に塔頭として移転させると 慶長10年(1605年)に高台院は実母である朝日局が眠る康徳寺(現・上京区上御霊馬場町にあった)をこの地に移転させて 新たな寺院・高台寺を建立し その境内を整えていった。
その際 高台院は高台寺の西側に自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営することとし 同年に伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭をこの地に移築して自らの邸宅・高台院屋敷とした。
翌慶長11年(1606年)に高台寺は完成している。
高台院は没するまでの19年間を高台院屋敷と高台寺で過ごすと 寛永元年(1624年)9月6日に屋敷で亡くなった。
寛永9年(1632年) 高台院屋敷は木下利房によって高台寺の三江紹益を開山として高台寺の塔頭・圓徳院に改められた。
以降は木下家の菩提寺となった。
とありました。
由緒書
外門
秀吉公好み手水鉢
本堂前庭
五体投地の作法
雪月花の襖絵
蔵
北庭
ここが好きです
桧垣の手水鉢
大黒天
内陣
食べる御朱印 についてくる飴
高台寺様の後に圓徳院様へ
寧々様の路を上から見れる贅沢なお寺😁
なんと御朱印も無料で拝受いたしました❗
高台寺様とセットの入館料はお勧めです👍
秀吉好みの手水鉢看板
秀吉好みの手水鉢
石庭
寧々様の路
豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。
それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。ねね58歳の時のことです。
これが今日の圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、ここは北政所の終焉の地となりました。
そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされました。寛永9年、ねねの没後9年目のことです。
名称 | 圓徳院 |
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読み方 | えんとくいん |
参拝時間 | 午前10:00~午後5:00受付終了(午後5:30閉門) |
参拝料 | 大人500円、中高生200円、団体(30名以上)400円。高台寺・掌美術館・圓徳院共通拝観券900円 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-525-0101 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.kodaiji.com/entoku-in/idx.shtml |
数珠巡礼 第6番 |
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ご本尊 | 釈迦如来 |
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院号 | 圓徳院 |
宗旨・宗派 | 臨済宗建仁寺派高台寺塔頭 |
創建時代 | 1632年(寛永9年) |
開山・開基 | 木下利房/三江紹益 |
ご由緒 | 豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。
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体験 | 御朱印有名人のお墓 |
概要 | 圓徳院(えんとくいん、常用漢字体:円徳院)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。高台寺の塔頭。本尊は釈迦如来。豊臣秀吉の正室・北政所が晩年に自身の本拠地としたことで知られるほか、一説にはその終焉の地ともいう。所蔵されている三面大黒天は秀吉の念持仏と伝わるものである。 |
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歴史 | 歴史[編集] 豊臣秀吉の没後、正室の北政所は、慶長8年(1603年)に朝廷から「高台院」の号を勅賜されると、秀吉の菩提を弔おうと寺院の建立を発願し徳川家康もその建立を支援した。 家康と高台院は、現在高台寺や圓徳院があるこの地にあった岩栖院を南禅寺の境内に塔頭として移転させると、慶長10年(1605年)に高台院は実母である朝日局が眠る康徳寺(現・上京区上御霊馬場町にあった)をこの地に移転させて新たな寺院・高台寺を建立し、その境内を整えていった。 その際、高台院は高台寺の西側に自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営することとし、同年に伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭をこの地に移築して自ら...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「圓徳院」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%9C%93%E5%BE%B3%E9%99%A2&oldid=99879961 |
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