ぶっこうじ|真宗佛光寺派本山|渋谷山(汁谷山)
佛光寺京都府 四条(京都市営)駅
9:00〜16:00(受付終了15:00)
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楽しみ方
京都市下京区にあるお寺です。
お参りするのは3度目かな?境内も広く立派なお寺です。
浄土真宗佛光寺派の本山ということで 浄土真宗の各派の本山と似ていると思います。
西本願寺・東本願寺・興正寺 どちらも下京区にある各派の本山ですが 堂宇の配置・お堂の建築様式・山門 どれを見ても本当に良く似ています。
こちら仏光寺は 御影堂も阿弥陀堂もどちらも拝観無料で 拝顔もできます。
この日はバザーがあり まあまあ遅い時間だったのですが 人出は多かったです。
ネット情報です。
山号は渋谷山(汁谷山) 宗旨・宗派は真宗佛光寺派 寺格は本山 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は元応2年(1320年) 開山は了源です。
寺伝によると 承元元年(1205年)に承元の法難で越後国に配流されていた親鸞は 赦免された翌年の建暦2年(1212年)に京都に帰ると山城国山科郷に一宇を創建し 順徳天皇より聖徳太子にまつわる「興隆正法」の勅願を賜りって 「興隆正法寺」と名づけた。
これが後の佛光寺で 親鸞はこの寺を弟子の真仏にまかせ その後 阿弥陀仏の本願をひろめるため関東行化に旅立ったとされている。
しかし 親鸞が山科に興正寺を建てたとするには寺伝以外の根拠に乏しく 史実としては 配流先の越後より直接関東方面へ向ったとする説が有力である。
なお 佛光寺の親鸞伝絵のうち古い作品には京都に帰った後に(興正寺を建立せず)伊勢神宮に参詣した後に関東に向かったとするものも存在しており 後述する荒木門徒の間では一旦京都に帰還した後に関東に向かったとする伝承が古くから存在していたとする見方もある。
実際の所は当寺は了源によって創建されたもので 了源が考えた「興正寺」の名称を親鸞の子孫である本願寺覚如に名付け親となってもらって寺名としたようである。
御影堂門
寺号の石柱
キッチンカーが来ていました
手水舎
鐘楼 見事な造りです
大師堂
内陣
大師座像も見られます
バザーでした
阿弥陀堂
内陣
阿弥陀様も拝顔できます
梁の彫刻が見事です

京都市下京区にあります、
佛光寺に参拝しました。
真宗佛光寺派の本山の寺院、御本尊は【阿弥陀如来】山号は【渋谷山(汁谷山)】
京都渋谷に寺基があった頃(1300年後半〜1400年前半頃)は、同じ浄土真宗の本願寺より遥かにしのぐ勢力がありました。
平等寺(因幡堂)の次に訪れ参拝しました。
かなり大きな寺院で落ち着いた雰囲気があり参拝客で賑わっていました。参拝後に書き置きの法語印を
2種類頂きました。
投稿を始めて1年半、無事に500投稿目を迎えました🤣🎉 いつも「すてき」をくれる方々に感謝しつつ、これからもマイペースでゆっくりと、寺社仏閣巡りを投稿をやっていけたらと思います。
| 名称 | 佛光寺 |
|---|---|
| 読み方 | ぶっこうじ |
| 参拝時間 | 9:00〜16:00(受付終了15:00) |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-341-3321 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.bukkoji.or.jp/ |
| SNS |
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 渋谷山(汁谷山) |
| 院号 | 華恩院 |
| 宗旨・宗派 | 真宗佛光寺派本山 |
| 創建時代 | 興隆正法寺:1212年(建暦2年)、佛光寺:1320年(元応2年) |
| 開山・開基 | 開山:了源上人、開基:親鸞聖人 |
| 文化財 | 重要文化財
|
| ご由緒 | 越後流罪に遭われた親鸞聖人は、ご赦免の翌年建暦二年(1212)に京都に帰られ、山科の地に草庵を結ばれました。
建武二年(1335)十二月八日、上人はご教化の途上、伊賀(三重)の七里峠において賊徒に襲われ、正法流布のご生涯を閉じられたのですが、その死に臨んで自己をあやめんとする者に対して「この者を罪することなかれ、回心の気あり、よく後生を教ゆべし」とお諭しになりました。
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