ひがしほんがんじ(しんしゅうほんびょう)|真宗大谷派
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方東本願寺(真宗本廟)のお参りの記録一覧
絞り込み




令和6年(2024年)7月16日(火)
京都市下京区の東本願寺に参拝
祇園祭の先祭を見に京都へ。
朝の東本願寺にお参り。
手水舎はまわりに囲いができている。修復作業中らしい。
阿弥陀堂に入ってお参り。内陣の方は閉ざされていて、黄金に輝く様子が写真でわかるようになっている。堂内は何か行事をやっていなければ写真撮影ができるようだ。
御影堂に移動。浄土真宗の特徴として、御本尊(阿弥陀如来)をお祀りするお堂よりも宗祖親鸞聖人をお祀りする御影堂の方が大きい。朝のお勤めなのだろうか、読経が行われている。 まわりでは一緒にお経を唱えていたりしてなかなかすごい空気感。
女性の僧侶による法話がある。
蝉の鳴き声が御影堂の中でもよく聞こえる。
御影堂 読経に負けじと 蝉時雨

NHK紅白歌合戦で Adoさんが「唱」を歌われた能舞台のあるお寺です。
京都市下京区にあるお寺です。
JR京都駅から北へ徒歩5分ほどの所にあります。
能舞台を見ようと思ってお参りしたのですが 残念ながら通常非公開でした。
「京の冬の旅」で予約すれば見学できたようです。
西本願寺と違い 阿弥陀堂も御影堂も内陣が撮影できませんでした。
山号はなし 宗旨宗派は浄土真宗大谷派 寺格は本山 ご本尊は阿弥陀如来です。
正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)です。
真宗本願寺派の本山である西本願寺と区別するため 両派の本山は通称で呼ばれることが多いです。
京都市民からはお東さんの愛称でも親しまれています。
ここからは西本願寺の紹介でも載せています。
本願寺がなぜ東と西に分かれているのか 少し前まで知りませんでした。
乱暴な説明ですが 簡単にお話ししますと。。
本願寺の前身である石山本願寺は 室町時代に武装化が進み 顕如上人の時代には各地の戦国大名と同盟を結ぶほどの勢力をもちました。
ところが天下統一を狙う織田信長にとって この本願寺の勢力はやっかいなものでした。
信長は石山本願寺の明け渡しを要求しましたが 顕如上人は断固拒否し 全国の門徒衆に対して打倒織田信長を決起しました。
信長は石山本願寺と10年以上も戦争を続けていましたが 武力によって攻め落とすことはできず 和睦の申し入れをしました。
本願寺内部では 和睦派と抗戦派で真っ二つに意見が分かれていました。
顕如上人は和睦を受け入れましたが 長男の教如上人は最後まで抵抗しました。
結局は信長に石山本願寺を明け渡すのですが 石山本願寺は焼かれてしまいました。
石山本願寺焼失後 顕如上人と長男の教如上人の親子の溝は埋まることはありませんでした。
顕如上人は本願寺の宗主を 長男ではなく 三男の准如上人にゆずります。
その後豊臣秀吉の時代になり 本願寺の再興を許されて京都の堀川に建てられたのが現在の西本願寺となります。
豊臣が徳川に滅ぼされ 徳川家康の時代になりました。
家康は本願寺の巨大な勢力を分断するために 不満のたまっていた教如上人に目を付け 西本願寺のすぐ近くの烏丸に寺地を寄進して東本願寺を建てさせました。
そして 本願寺教団は三男の西本願寺と長男の東本願寺に分裂されることになりました。
という流れです。

京都府のおすすめ🎋

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ

































































