御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

(きづ)ごりょうじんじゃ

(木津)御霊神社
京都府 木津駅

御朱印について御朱印
-
パーキング
駐車場
あり

参道鳥居前、47号線を挟んだところに数台

おすすめの投稿

投稿をもっと見る|
4

(木津)御霊神社の基本情報

住所

京都府木津川市木津宮ノ裏

行き方

JR奈良線・学研都市線「木津」駅徒歩7分

アクセスを詳しく見る
名称

(木津)御霊神社

読み方

(きづ)ごりょうじんじゃ

参拝時間

境内自由

詳細情報

ご祭神・大國魂命 生國魂命 稲倉魂命
・天乃穂日命 天津彦根命 活津彦根命
・藤原広嗣 伊予親王 早良親王
創建時代

天平年間(729年 - 749年)

創始者

橘諸兄

ご由緒

 天平年間(729~749)、聖武天皇が光明皇后とともに全国に国分寺、国分尼寺を建てられた際、東大寺大仏殿建立の余材を以てこの地にも国分尼寺(誓願寺)が建立されたので、この寺の守り神として左大臣従三位葛城王 橘諸兄が造営使となって神殿が造営されました。
 御祭神として、木津郷黒山(現在の鹿背山)より大國魂命、生國魂命の二神に遷座給わる時、大白玉が空中より天下りて光を四方に放ち、金剛童子に神移らせて「この地を永く鎮護するため降臨する吾は稲倉魂命」と名乗られたので、聖武天皇は直ちに稲倉魂命を合わされて祭祀され、白玉神社と名付けられました。
 また別に現存の勧請記によると、清和天皇の御宇貞観十八年(877)には天下泰平、悪鬼防護の神として天乃穂日命、天津彦根命、活津彦根命の三神を御勧請したともあります。
 正徳二年(1712)八月、木津川大洪水により当神社も大きな被害を受けて、古文書の大半も流出したため詳細は不明ですが、これまで自然災害や戦乱、疫病など幾多の困難な時期があり、それとともに社会状況に応じた御神体が合祀されたものと思われます。
 その後、享保十五年(1730)に社殿が再建され、名称も御霊神社として今日に至っていますが、現在の拝殿他二棟は、昭和四十九年(1974)十一月、三社所有地の一部を日本住宅公団に売却し、その代金を以て造営され、昭和五十八年(1983)十月に完成したものです。

「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ