かさぎでら|真言宗智山派|鹿鷺山
笠置寺京都府 笠置駅
9:00〜16:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり |
高さ15mの巨石。岩肌に刻まれていた「弥勒磨崖仏」 ほとんど消えています、古くから巨石信仰があったようです。また一大修験行場として栄えた。平安期には貴族らがこぞって笠置詣でを行い、清少納言の「枕草子」にも書かれています。秋には紅葉の名所でもあります
🌼笠置寺(かさぎてら)に参加させて頂きました🙏🌸当寺院は京都府の南東部、奈良県境に位置する笠置町にあり、東西に流れる木津川の南岸、標高289メートルの笠置山を境内とする。笠置は奈良方面からの月ヶ瀬街道と、京都方面から伊賀へ向かう伊賀街道の交わる地であり、地理的にも歴史的にも南都(奈良)との関わりが深く、平城京の宮殿や寺院などの建築用材は木津川の上流から舟で運ばれたとされており、笠置は水陸交通の要地でありました。🍒笠置寺は磨崖仏(自然の岩壁に直接彫り刻んだ仏像)の巨大な弥勒菩薩を本尊とする寺で、平安時代以降、弥勒信仰の聖地として栄えた。笠置山は標高は300メートルに満たないが、山中の至るところに花崗岩の巨岩が露出し古くから山岳信仰、巨石信仰の霊地であったと推定されています。🍁日本では太古から山岳、滝、巨岩、巨樹などの自然物が崇拝の対象とされ、巨岩は磐座(いわくら)などと呼ばれて神の依代(よりしろ)、すなわち目に見えないカミの宿る場所とされており、笠置山はこうした巨石信仰、山岳信仰が仏教思想と結び付き、山中の巨岩に仏像が刻まれ次第に仏教寺院としての形を整えていったものと推定されています。🍒当寺の創建については諸説あって定かでなく『笠置寺縁起』には白鳳11年(682年)、大海人皇子(天武天皇)の創建とある。一方、『今昔物語集』巻11には笠置の地名の起源と笠置寺の弥勒磨崖仏の由来について次のように伝えています。☘️天智天皇の子である大友皇子(弘文天皇)は、ある日馬に乗って鹿狩りをしていた時、笠置山中の断崖絶壁で立ち往生してしまった。鹿は断崖を越えて逃げ去り、自らの乗る馬は断崖の淵で動きがとれない。そこで山の神に祈り、「もし自分を助けてくれれば、この岩に弥勒仏の像を刻みましょう」と誓願したところ無事に助かった。大友皇子は次に来る時の目印として自分の笠をその場に置いていった。これが笠置の地名の起こりであるという。🌺その後、天智天皇3年(664年)に皇子が再び笠置山を訪れ誓願どおり崖に弥勒の像を刻もうとしたところ、あまりの絶壁で思うにまかせない。しかし、そこへ天人が現れ弥勒像を刻んだという。これが当寺の弥勒磨崖仏の由来であるといいます。💐笠置寺の始まりが弥勒磨崖仏造立であったことを示唆しており、『東大寺要録』元慶元年(879年)条に「笠置寺八講始行」とあるのが笠置寺の文献上の初見であるが、実際の創建は奈良時代にさかのぼるものと思われ、正月堂は天平勝宝4年(752年)頃に東大寺の実忠によって建立されたという。また、笠置山の行場は役行者によって開かれたものだと伝えられています。
🍁所在地 : 京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29
御本尊 巨石
弥生時代には巨石を神と崇拝する「磐座信仰」の聖地とされているので、すごい歴史ある寺院です
弥勒磨崖仏
千手窟 笠置の龍穴
弥勒磨崖仏 (お姿は消失しています)
天智天皇の皇子天智天皇の皇子が、
笠を置いた石で「笠置石」と呼ばれています。
胎内くぐり くぐると生まれ変われると言われています。
太鼓石
丸い右側の淵を叩くと太鼓のような音がします
もみじ公園
名称 | 笠置寺 |
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読み方 | かさぎでら |
参拝時間 | 9:00〜16:00 |
参拝料 | 大人(高校生以上)300円、中学生100円、小学生以下無料 ※団体割引有 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0743-95-2848 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.kasagidera.or.jp |
SNS |
ご本尊 | 弥勒磨崖仏 |
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山号 | 鹿鷺山 |
宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
文化財 | 解脱鐘(国指定重要文化財) |
体験 | 重要文化財伝説 |
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