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南山城村天満宮(恋志谷神社)ではいただけません
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御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
-

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Waka
2019年09月02日(月)
5投稿

毎年春の大祭か秋の大祭に行ってます。
今年は秋の大祭に行って来ました。
御朱印はありませんが御守りは毎年頂いてます。
今年は交通安全(白)も頂きました。

南山城村天満宮(恋志谷神社)の建物その他

階段を上って行くと恋志谷神社が見えてきます。

南山城村天満宮(恋志谷神社)の建物その他

毎年この水色の登りを目指して恋志谷神社へ

南山城村天満宮(恋志谷神社)のお守り

ピンクは毎年頂いている縁結びの御守り
白は交通安全の御守りです。

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南山城村天満宮(恋志谷神社)の基本情報

住所京都府相楽郡南山城村南大河原湯矢畷92
行き方
アクセスを詳しく見る
名称南山城村天満宮(恋志谷神社)
お守りあり

詳細情報

ご祭神《主》菅原道真
ご由緒

<天満宮>江戸時代初期に柳生藩第3代藩主柳生宗冬が勧請したと伝えられています。そして、この石鳥居は正保4年(1647)建立寄進されたものです。
<戀志谷神社>戀志谷神社は、昔から子授り・安産・婦人病平癒など女性の守り神として知られています。鎌倉時代末期、元弘元年(1331)倒幕の計画が知れた五代テンん央は、京都を脱出し笠置山に籠って挙兵した。それを天皇に想いをよせていた姫(妃)が聞きつけ、伊勢で病気療養中にもかかわrず駆けつけたが、時すでに遅し。天皇は追っ手から逃れるため、笠置山を後にしていた。姫は悲しみと長旅の疲れから持病が再発。「恋い焦がれ、病に苦しむような辛いことは自分一人で十分。人々の守り神になりたい」と言い遺し、この世を去った。これを哀れんだ人々が祠を建て、祀ったのが戀志谷神社の始まりだと言い伝えられています。最期まで「天皇が恋しい、恋しい」と言い続けていたことから、いつしか親しみを込めて「恋志谷さん」と呼ばれるようになりました。

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