しゅうおんあんいっきゅうじ|臨済宗大徳寺派
酬恩庵一休寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
一休宗純ゆかりの「酬恩庵」
駅からそこそこ遠い。有料駐車場あり。
門をくぐり真っ直ぐな参道。きれいにされている。
参道奥で受付でここから有料。左手に浴室。
お庭がどれも綺麗にされており、ぼんやり見ることができました、寒かったけど。雰囲気良い。
個人的に良かったのは、開山堂と少年一休さんの像。撫で過ぎなせいか、一休さんの像は頭ツルツルでした。でも撫でる。
境内に六角義賢のお墓もありました。知らなかっただけにときめきました。
京田辺の名刹である酬恩庵をたずねる。別名の一休寺は、風狂に生きた一休宗純がここに草庵を結んだことに由来する。88歳で臨終を迎えた場所もここである。 後小松天皇落胤説があることから、境内にある慈揚塔と呼ばれる彼の墓は宮内庁が管理していて、立ち入りや参拝はできないが、菊の御紋章をあしらった透かし彫りから中をうかがうことはできる。また、能楽観世流三代音阿弥元重、十五代元章、十九代清興。近江観音寺城主の佐々木承禎こと、戦国武将の六角義賢。そして弓木多摂津守、茶人寸松庵等の墓もある。
江戸初期に前田利常が再興した方丈と、枯山水の庭を見学し、一休寺納豆という独特の塩辛い納豆をいただいた。
近鉄京都線「新田辺駅」下車。タクシーで約10分。臨済宗寺院。ご本尊は釈迦如来です。
「とんち」でもお馴染みの一休禅師が晩年過ごした草庵。
元々は、約750年前に大応国師が開山した「妙勝寺」が始まりとされます。
途中、兵火に遭いましたが、1456年大覚寺から一休宗純66歳の時に草庵を結んで中興しました。
宗祖の遺風をしたく、師恩に酬いる意味で「酬恩庵」と号しました。
晩年は、ここと大覚寺の行き来し、88歳の生涯を閉じました。
アオモミジに覆われた静寂さを感じる寺院で、境内にはアニメ「一休さん」でも出てくる場面にも出逢います。
庭園は、三方で違った趣のお庭でゆっくりと時間を過ごしました。
総門です。
早いものから色づき始めています。
一休宗純の碑
総門をくぐり、参道の両サイドには苔が蒸しています。
ウロコ雲に色づく紅葉。
浴室です。今で言う「サウナ」みたいなもの。
その横には「三本杉」があります。
一休和尚、蓮如上人、蜷川新右衛門がお手植えしたと云われています。
現在のは昭和40年に植えられたものです。
宗純王廟の入口です。
固く閉ざされていますが、ここは宮内庁の管理となっています。
しかし、菊の御紋の隙間から見ることができます。
本堂への参道です。
本堂です。仏殿とも呼ばれ、室町幕府の将軍足利義教により建立されました。
開山の大応国師像。
ご本尊の釈迦如来像と普賢菩薩、文殊菩薩像が安置されています。
鐘楼堂です。
方丈への入口です。
方丈です。
方丈の南庭園。
宗純王廟と右手は「虎丘庵」の茶室です。こちらは、秋に特別公開をします。
東庭園です。
十六羅漢を模しています。
北庭園。観音岩を中心としています。
この「虎」を追い出してくれ。
その前にこの「虎」を襖から追い出してください。
結局「虎」は、御朱印の中へ。
唐門です。
一休和尚の晩年の像です。
こちらは少年時代の一休禅師。
世の中嫌な事は、ほうきで払いましょう。
「このはしわたるべからず」
A 「ならば、真ん中を歩けば良い。」
B 「違います。欄干の上を渡ればええんよ」
A「んなアホな!バランス崩して落ちてまうわ!!」
A「土手を飛び越えればええわ!」
B 「できるか!!」
A B 「どうもありがとうございました。」
帰り道には至る所に「羅漢さん」が
風変わりな羅漢さんの数々。
地元民の方が彫ったものだそうです。
あと1ヶ月くらいすると紅葉もさらに進むと思います。
いただいた御朱印です。
一休さんでおなじみの酬恩庵さん。
同志社大学の近くですね。
車または電車ですが、電車で向かうと学生によく会う所です。
一休さんのイラストがそこかしこに‥かわいらしい☆ミ
お庭が有名ですね。
歩ける空間が広く、たしか私が訪問した2018年には羅漢像をたくさん作りだしていた気がしますが、今はもう完成しているのでしょうか。
アニメを見た後に訪れると楽しさ倍増のお寺さんです。
https://ameblo.jp/free-na-jyodosyu-soryo/entry-12349729987.html
羅漢の庭で有名なお庭です。羅漢とは、インドの素晴らしいお坊さまたちのことを言います。
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