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なし

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神祇伯
2019年10月30日(水)
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山城国久世郡の式内社です。「あさくら」神社と読みます。山城国には○椋と名のつく神社が複数あります。
鳥居や玉垣が新しい神社でした。

旦椋神社の鳥居

《鳥居》
☆チェックポイント!!
扁額には「旦」の字の日と一の間に「、」が入るようです。また、元旦とあるように地平線から日が昇る様を漢字にした「旦」を「あさ」と読むとはセンスありますよね!

旦椋神社の歴史

《由緒書き》

旦椋神社の建物その他

《祭儀庫?》

旦椋神社の建物その他

《表参道》

旦椋神社の建物その他

《社務所》
生活感があるので人がいるようですが生憎お留守でした。

旦椋神社の狛犬

《牛像》
旦椋神社はかつて天神さんが鎮座していた地に再建し、明治になるでは天満宮を名乗っていたため、至る所に天神さんの名残があります。

旦椋神社の山門

《随身門》

旦椋神社の本殿

《拝殿》

旦椋神社の自然

《御神木》
椎の木です。

旦椋神社の末社

《末社・愛宕社》
改修中でした。

旦椋神社の末社

《末社》
綺麗ですが、何の末社なのか…天神さんでしょうか?

旦椋神社の本殿

《本殿》

旦椋神社の芸術

壁には唐獅子や武士などが描かれており、屋根の裏にも色付きで装飾がなされています。

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歴史

当旦椋神社は、養老四年(720)の日本書紀に栗隈県の大溝(栗隈大溝)の東側(地名旦椋)に、古社としてあったと伝えられていますが、この社は天文十九年(1550)に消失しました。
現在の社は、大久保町旦椋の地より永禄九年(1566)にこの地に移転再興されたことが、吉田兼右の『兼右卿記』に見えます。
また、延喜年間(901〜923)に編纂された『延喜式』に記載されている神社を延喜式内社とよび、旦椋神社もその中のひとつです。
本殿は延宝二年(1674)に改築されたもので、京都府登録有形文化財(昭和六十年5月)に指定されました。

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旦椋神社の基本情報

住所京都府宇治市大久保町北の山109-1
行き方

近鉄京都線「大久保」より徒歩5分

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名称旦椋神社
読み方あさくらじんじゃ
参拝時間

なし

参拝にかかる時間

5分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》高皇産霊神,神皇産霊神,菅原道真公
ご神体不詳
本殿一間社流造
ご由緒

当旦椋神社は、養老四年(720)の日本書紀に栗隈県の大溝(栗隈大溝)の東側(地名旦椋)に、古社としてあったと伝えられていますが、この社は天文十九年(1550)に消失しました。
現在の社は、大久保町旦椋の地より永禄九年(1566)にこの地に移転再興されたことが、吉田兼右の『兼右卿記』に見えます。
また、延喜年間(901〜923)に編纂された『延喜式』に記載されている神社を延喜式内社とよび、旦椋神社もその中のひとつです。
本殿は延宝二年(1674)に改築されたもので、京都府登録有形文化財(昭和六十年5月)に指定されました。

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