びょうどういん
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
平等院ではいただけません
広告
平等院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月30日(火)
参拝:2021年3月吉日
平等院は、京都府宇治市にある単立の寺院。山号は朝日山。本尊は阿弥陀如来坐像。ユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。平安貴族が建立した寺院で、建物・仏像・壁画・庭園まで含め一通り残存している点で、日本で唯一の史跡。多くの国宝等を有するが、大どころでは鳳凰堂4棟(中堂・両翼廊・尾廊)、木造阿弥陀如来坐像、木造雲中供養菩薩像52体、鳳凰堂中堂壁扉画14面、鳳凰(鳳凰堂中堂旧棟飾)1対、梵鐘が国宝。
創建は平安中期の1052年、開基は藤原頼道、開山は明尊。当初天台宗であったが、江戸期以降、天台宗と浄土宗を兼ねており、特定の宗派に属さず、境内塔頭の本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理している特異な形態になっている。
現在の平等院の地は、9世紀末に嵯峨源氏の源融(光源氏のモデル)の別荘であったが、陽成天皇、宇多天皇、朱雀天皇、源重信の手を渡り、998年摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となった。道長の死後、その子である関白・藤原頼道が末法思想や浄土教に基づき、西方極楽浄土とその教主たる阿弥陀如来を観想するために「宇治殿」を寺院に改造した。なお開山の明尊が園城寺(三井寺)長吏であったことから園城寺の末寺となった。
鎌倉期前夜の1180年には、以仁王の挙兵で以仁王側の源頼政が橋合戦に敗れ(治承の乱)当院「扇の芝」で自害。1184年には近くで宇治川の戦いが勃発。1221年の承久の乱では当院に鎌倉幕府軍大将・北条泰時、北条時房の本陣が置かれ近くで合戦が発生。南北朝時代の1336年に足利尊氏と楠正成の合戦に巻き込まれ、鳳凰堂以外のほとんどを焼失した。
室町時代の1490年代に浄土宗の僧・栄久が荒廃した平等院を修復するために塔頭・浄土院を創建。江戸期の1654年に天台宗寺門派の僧・澄栄が塔頭・最勝院を創建、1681年に江戸幕府の寺社奉行の裁定により浄土宗、天台宗寺門派の共同管理となって現在に至っている。
当院は、宇治川の南西岸にあり、京阪宇治駅からだと宇治橋を渡って川沿いの参道を300mほど進むと入口がある。境内全体が庭園になっていて、半分すり鉢状になった高台に塔頭の浄土院・最勝院・鐘楼・ミュージアムがあり、中央の低い部分に鳳凰堂が大きく構えている形になっている。
参拝時は週末の朝一で、天気が良いにもかかわらず、参拝者は驚くほど少なかった。ただし、鳳凰堂内部拝観はコロナ対策で人数制限をしており、平等院自体8:30開所だが、9:00過ぎに10:40参観予定と言われ、泣く泣く拝観を断念した。
創建は平安中期の1052年、開基は藤原頼道、開山は明尊。当初天台宗であったが、江戸期以降、天台宗と浄土宗を兼ねており、特定の宗派に属さず、境内塔頭の本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理している特異な形態になっている。
現在の平等院の地は、9世紀末に嵯峨源氏の源融(光源氏のモデル)の別荘であったが、陽成天皇、宇多天皇、朱雀天皇、源重信の手を渡り、998年摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となった。道長の死後、その子である関白・藤原頼道が末法思想や浄土教に基づき、西方極楽浄土とその教主たる阿弥陀如来を観想するために「宇治殿」を寺院に改造した。なお開山の明尊が園城寺(三井寺)長吏であったことから園城寺の末寺となった。
鎌倉期前夜の1180年には、以仁王の挙兵で以仁王側の源頼政が橋合戦に敗れ(治承の乱)当院「扇の芝」で自害。1184年には近くで宇治川の戦いが勃発。1221年の承久の乱では当院に鎌倉幕府軍大将・北条泰時、北条時房の本陣が置かれ近くで合戦が発生。南北朝時代の1336年に足利尊氏と楠正成の合戦に巻き込まれ、鳳凰堂以外のほとんどを焼失した。
室町時代の1490年代に浄土宗の僧・栄久が荒廃した平等院を修復するために塔頭・浄土院を創建。江戸期の1654年に天台宗寺門派の僧・澄栄が塔頭・最勝院を創建、1681年に江戸幕府の寺社奉行の裁定により浄土宗、天台宗寺門派の共同管理となって現在に至っている。
当院は、宇治川の南西岸にあり、京阪宇治駅からだと宇治橋を渡って川沿いの参道を300mほど進むと入口がある。境内全体が庭園になっていて、半分すり鉢状になった高台に塔頭の浄土院・最勝院・鐘楼・ミュージアムがあり、中央の低い部分に鳳凰堂が大きく構えている形になっている。
参拝時は週末の朝一で、天気が良いにもかかわらず、参拝者は驚くほど少なかった。ただし、鳳凰堂内部拝観はコロナ対策で人数制限をしており、平等院自体8:30開所だが、9:00過ぎに10:40参観予定と言われ、泣く泣く拝観を断念した。
境内北端にある<表門>。
表門をくぐって、すぐ右手にある<寺務所>。
参道進んで左手にある<扇之芝>。扇の形をした芝の敷地。平安末期の1180年に、以仁王の挙兵で以仁王側の源頼政が橋合戦に敗れここで自害した。
扇の芝の隣にある<観音堂>。
観音堂の隣にある<藤棚>。
藤棚のそばにある<鳳凰堂拝観受付>。
いよいよ<鳳凰堂>。北側から。手前の池は<阿字池>。
鳳凰堂、北東から。
鳳凰堂正面。東側から。
鳳凰堂。南東から。
鳳凰堂。南側から。この場所の後ろ側に<集印所>と<六角堂>がある。
六角堂の隣にある<鐘楼>。小山の上に立つ。
鐘楼の<梵鐘>。オリジナルは国宝。写真はレプリカ。
鐘楼から見た庭園。
鐘楼の横にある<鳳翔館(ミュージアム)>入口。
鳳翔館の裏手と塔頭・浄土院の間に建つ<平等院 旧南門>。
鳳凰堂の裏手の高台に建つ塔頭・浄土院の本堂。
鳳凰堂の裏手の高台に建つ塔頭・最勝院の本堂。
浄土院、最勝院から続く下り坂から見た鳳凰堂。桜が満開。
最後、北側から見た、湖面に映る鳳凰堂。
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。