たかはしいなりじんじゃ
高橋稲荷神社熊本県 田崎橋駅
授与所:08:30~16:30
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 手水舎周辺に20台ほど駐車可能 |
熊本県最大のお稲荷さんであり、神社本庁下の別表神社です。室町時代にあった上代城の城内鎮守として伏見稲荷大社から勧請して創建されました。一度城と共に焼失しますが熊本藩主の菩提寺の首座によって再建され、以降は歴代藩主の崇敬を受けていました。現在も九州三稲荷や日本四大稲荷、日本稲荷五社などの有名なお稲荷さんのカテゴライズには高い確率で入れられています。
《鳥居》
《境内》
元々が山城に創建されたのもあって石垣などが組まれています。
《手水舎》
広めに作られて水が流れています。
《楼門》
《各行事の写真》
《神楽殿》
《祈祷殿》
拝殿に向かうように建てられています。通常の祈祷はこちらで行われているのでしょうか。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
高橋稲荷は日本稲荷五社の一社を自称しており、そのほかの4社は京都の伏見、佐賀の祐徳、岡山の最上、愛知の豊川を含めます。伏見、豊川はそのほかの〇〇稲荷には高い確率で属し、祐徳は九州の稲荷では必ず入ります。そして岡山の最上稲荷を含めているのは珍しく、西日本での仏教系稲荷も含めたうえでの有力なお稲荷さんを数えているようです。
ちなみに明治の近代社格制度では無格社から別表神社に認定された数少ない例で、ほかには三重の猿田彦神社しかありません。
《奥宮の鳥居》
拝殿右手から裏に回れます。
《三吉社》
奥の宮総社とあります。どんな意味があるのでしょう・・・
《稲荷大神鎮座の巨石》
本殿を裏から見たときに左手にかすかに注連縄の巻かれた巨石が見えます。
《厄落とし玉投げ処》
厄落としの玉を投げて割ることで厄除けとするようです。
《稲荷山入口》
こちらもほかの稲荷神社同様、鳥居の奉納ができるようです。
《玉釼社》
こちらも伏見稲荷大社の三柱と同じようにお塚の末社があります。
《源策社》
《火焚串》
稲荷信仰が修験道とも習合していた関係で護摩焚きが現在も火焚祭という形で残っているところが多いです。
《元吉社》
稲荷山の中でも裏側にあります。
《太子堂》
聖徳太子さんを祀っています。聖徳太子さんが生前には日本における仏教の興隆を進めた功績から各地の寺院で祀られていることが多いです。
《裏参道?》
楼門からの階段の道がありつつ、こちらは授与所の前を通って拝殿へ直接行くことができます。
名称 | 高橋稲荷神社 |
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読み方 | たかはしいなりじんじゃ |
参拝時間 | 授与所:08:30~16:30 |
参拝にかかる時間 | 約30分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 096-329-8004 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 宇迦之御魂大神 |
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ご神体 | 巨石 |
創建時代 | 明応五年(1496年) |
創始者 | 鹿子木親員 |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 日本5大稲荷の一つである高橋稲荷神社は、明応5年(1496)に、城の守り神として、京都の伏見稲荷神社の御分霊を勧請して祀ったのが始まりとされています。毎年2月の初午(はつうま)の日に行われる初午の例祭は、商売繁盛を願う参詣の人々が集まり、「福かき」「破魔矢」などを買い求めます。また、この日の呼び物は、7回に分けて行われる「福餅まき」で、石垣の上の祈祷殿より下の広場を埋める群衆に紅白の餅がまかれ、祭りを盛り上げます。[九州旅ネットより] |
体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭りアニメなどサブカル武将・サムライ札所・七福神巡り |
概要 | 高橋稲荷神社(たかはしいいなりじんじゃ)は、熊本県熊本市西区にある神社である。登記上の宗教法人名称は高の異体字である髙(はしごだか)を使用した髙橋稲荷神社。 日本稲荷五社や、阿蘇神社、出水神社とともに熊本県三大神社の一つと称している。また、日本四大稲荷や九州三稲荷の一つに挙げられることもある。 2月初午の初午大祭には、多くの人が参詣する。 |
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歴史 | 歴史[編集] 神門 明応5年(1496年)、隈本城の初代城主鹿子木親員が支城として稲荷山山頂に上代城を築いた際、城内鎮守のため京都の伏見稲荷神社から稲荷大明神を勧請したのに始まる。天文10年(1541年)上代城落城の際に稲荷神社も焼失した。 江戸時代に入り、熊本藩主細川氏の菩提寺である海蔵寺の首座義本氏が夢で稲荷神社再興の啓示を受け、寛文元年(1661年)、現在地である稲荷山中腹に社殿を再建し遷座した。以降、熊本藩主細川氏の崇敬を受けた。 明治維新の際に高橋稲荷神社に改称した。戦後は神社本庁に参加し、昭和41年(1966年)7月1日にその別表神社とされた。 |
引用元情報 | 「高橋稲荷神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102021348 |
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