えんこうじ|真言宗智山派|赤亀山(しゃっきざん)
延光寺高知県 平田駅
7:00~17:00
1泊2日四国八十八か所巡り 2日目の5寺院目です。
39番札所で 高知県の最終札所になります。
足摺岬の金剛福寺から車で1時間ほどで着きました。
けつかっちんで焦っていたので お参りする時間が短くなってしまいました。
本堂と大師堂と納経所しかチェックできていないのですが どうやら護摩堂を見忘れてしまったようです。
境内には亀の石像があり 鐘楼の由来が書かれているのですが 一部欠けてしまっていて読めませんでした。
竜宮という文字が読めるので 竜宮から亀が持ち帰ったということでしょうね。
こちらの延光寺は 長曾我部元親に縁のお寺でした。
山号は赤亀山(しゃっきざん) 院号は寺山院(じさんいん) 宗旨宗派は真言宗智山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)神亀元年(724年) 開基は(伝)行基です。
奈良の大仏で有名な行基さんは いろいろな寺院を開基されているのですね。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:南無薬師諸病悉除(しつじょ)の願(がん)こめて 詣(まい)るわが身を助けましませ
でした。
由緒については
聖武天皇の勅命によって神亀元年(724年)に 行基が薬師如来を刻んで本尊とし 本坊ほか12坊を建立 当初は亀鶴山施薬院宝光寺と称したとされる。
その後桓武天皇の勅願所となり 空海(弘法大師)が来錫して再興 脇侍の日光・月光菩薩を刻んで安置 本堂脇に眼病に霊験のある「目洗い井戸」を掘ったとされる。
天正7年(1579年) 長曽我部元親は 支配した讃岐の金毘羅大権現(松尾寺金光院)を「四国鎮撫の総本山」とするべく 当寺の坊の一つである南光院の院主を呼び寄せ 名を宥厳と改名させ院主とした。
その後 豊臣秀吉に敗れた長宗我部元親が高知に退却後の慶長5年(1600年)には 宥厳を呼び戻し当寺の住職に据えた。
宥厳は自分が持っていた南光院を奥之院とし 当寺は修験兼帯の真言寺とする。
当寺は長宗我部家の後ろ盾もあり繁栄し 慶安4年(1651年)に当寺から独立した南光院も隆盛したが 長宗我部家が滅亡し山内藩となると南光院は次第にその勢力を失っていき当寺も衰退した。
明治初年の廃仏毀釈の影響で当寺は一時期廃寺となるも 明治22年に再興された。
とありました。
駐車場にある案内板
石柱が土塀越しに見えました
仁王門
手水 龍ではありませんでした
銅鐘の由来 一部欠けています
修行大師像
鐘楼
本堂
木組みが美しい 梁に龍の彫刻
ご本尊薬師如来のご真言
内陣
賓頭盧尊者
大師堂
新西国霊場本尊泰安所
眼洗いの井戸 改修計画中
納経所
住所 | 高知県宿毛市平田町中山390 |
---|---|
行き方 | 高知西南交通 中村-宿毛線「寺山口」下車 (1.0km)
|
名称 | 延光寺 |
---|---|
読み方 | えんこうじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
トイレ | 駐車場にあり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0880-66-0225 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
---|
ご本尊 | 薬師如来 |
---|---|
山号 | 赤亀山(しゃっきざん) |
院号 | 寺山院(じさんいん) |
宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
創建時代 | 神亀元年(724) |
開山・開基 | 行基菩薩 |
文化財 | 銅鐘(重要文化財)
|
ご由緒 | 土佐路の西南端、「修行の道場」最後の霊場である。
|
体験 | 御朱印重要文化財札所・七福神巡り |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
4
0