ほつみさきじ|真言宗豊山派|室戸山(むろとざん)
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楽しみ方最御崎寺のお参りの記録一覧
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約10年ぶりに7巡目のお遍路の続きに行ってきました。前回は徳島県最後の札所第23番薬王寺で終わっていたので、今回は高知県最初の札所第24番最御崎寺から始めました。台風が発生した時にはヒヤヒヤしましたが、天気も良く無事にお参りをする事ができました。
約10年ぶりに室戸方面に移動すると道路事情がかなり良くなっていて予定時間よりも早く到着して、室戸岬周辺を散策することができました。
かなり久しぶりにお参りをしましたが、お寺は変わらない佇まいだったので、懐かしさやホッとする気持ちがありました。
以前使用していたお遍路の鞄や子供が着ていた白衣など、普通に捨てるのはどうかと思い相談すると、お寺で預かり対応して頂けるとおっしゃったのでお願いしてきました。ありがとうございました。
すぐ近くにある室戸岬灯台からは、雄大な太平洋が一望でき、瀬戸内海では見れない水平線を見て地球の丸みを感じました。
室戸にある3つの札所は、正式な名前とは別にそれぞれ東寺・津寺・西寺と呼ばれていてここ最御崎寺は東寺と呼ばれています。

真言宗豊山派 室戸山 明星院 最御崎寺
四国八十八箇所霊場 第24番札所
四国霊場十三佛 第13番札所
約5カ月ぶりにお遍路再開。
と言っても既にそれから1カ月経ってしまっていますが😅
室戸岬の先端に位置する最御崎寺。
納経所は午前8時からなのですが、室戸岬に到着したのが午前7時ということで、約30年ぶりに訪れた室戸岬を少し散策して時間を潰しました。
そして室戸スカイラインを通って7時40分頃に到着。
まだ少し早かったかな?と思いきや、納経所には既に10名以上の方が並ばれていました。
仁王門をくぐると左手に大師堂が現れますが、まずは素通りして本堂を目指します。
右手には鐘楼堂がありますが、鐘を撞くことはできませんでした。
ちなみに本堂の左奥にも鐘つき堂があることに後で気付きましたが、こちらも撞いてよかったのかな?
ただ本堂参拝後だったため、いずれにしても鐘は撞くことができずでした。
本堂にて参拝後、また仁王門方向に戻り大師堂へ。
そして納経所へ向かう前に、ガイドブックやネットでも掲載されている鐘石を叩いてみることに。
思ったよりも小さい音ながらキーンという乾いた音がしました。
冥土まで届いたかな?
そして納経所の列に並びましたが、8時より前から受付を開始されていたのか、思いのほかすぐに授与いただくことができました。
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憧れの四国八十八霊場巡り4回目(4巡目ではないです)です。
いよいよ高知県に入りました。遠い遠い遠~い。自宅から4時間ほどかかりました。これから先は日帰り不可能だと思いました。
太平洋を臨む海岸線に沿って車を走らせます。
目指すは四国八十八霊場巡り 24番札所のお寺です。
海岸沿いから 看板が指す方向に右折すると 驚きの七曲り坂が見えます。
山腹を 山中を ではなく カーブする部分は陸橋っていうのか 宙に浮いて見えるのです。
ひゃ~ わざわざ車での参拝者のために道造ったのか~と思いました。高知県の皆様 ありがとうございます。
山頂までは行かず 途中に駐車場があり そこから徒歩5分ほどでした。
目の前の海は絶景です。さすが足摺岬 水平線の向こうは大海原です。
肝心のお寺はというと こんな山の上にこんなに立派な建物をどうやって建てた?という感じです。
境内に鐘石という大きな石が置いてあります。
石なんですが 小石で叩くと キーンというかコーンというか 金属を叩いたような音がします。
鐘楼が2基あったのも不思議でした。
1つは鐘楼堂になっており NHKの除夜の鐘放送で5度取り上げられたようです。
山号は室戸山 院号は明星院 宗旨は新義真言宗 宗派は真言宗豊山派 ご本尊は虚空蔵菩薩(秘仏) 創建年は(伝)大同2年(807年) 開基は (伝)嵯峨天皇(勅願)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言 - のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか
ご詠歌 - 明星の出ぬる方(かた)の東寺(ひがしでら) くらき迷いはなどかあらまじ
でした。
由緒については
空海は都での学問に飽き足りず 19歳の延暦11年(792年)頃からの約5年間 山林修行を続けた。
空海の『三教指帰』には「土州室戸崎に勤念す」(原文は漢文)とあり 室戸岬にほど近い洞窟(御厨人窟)で虚空蔵求聞持法に励んだとされる。
寺伝によれば空海は大同2年(807年)に 嵯峨天皇の勅願を受けて本尊の虚空蔵菩薩を刻み、本寺を開創したとされる。
嵯峨天皇以降歴代天皇の信仰が篤かった。
暦応4年(1341年) 足利尊氏によって土佐の安国寺とされる。
その後火災により焼失したが 元和年間(1615年 – 1624年)には土佐藩主山内忠義の援助を受け僧の最勝が再興する。
堂塔を建立 七堂伽藍を有したという。
明治に入って神仏分離令によって荒廃するが 大正3年(1914年)には再建された。
また 女人禁制の寺で岬からの登山口脇にあった女人堂から拝んでいたが 明治5年に解禁された。
とありました。

室戸岬御来光一人旅にて、大晦日の夕方近くに徳島県の二十三番札所薬王寺をお参りし、日和佐の町のなんとも言えない、のどかな美しい風景に心洗われ、また喧騒の中の孤独を感じたままで県境を越えて高知県に入りました。
詳細は省略しますが大晦日に日帰り入浴で利用しようと思っていた、宍喰の道の駅にあるホテルリヴィエラ宍喰のお風呂がポンプ故障とのことで利用できず、お風呂を諦めざるを得なくなってしまい、そのまま夕飯を済ませ、室戸岬近くの車中泊場所に早々に行きました。
そこで日付が変わって新年を迎え、あけおめメールを知人に送ってから仮眠。
5時半に起床して岬近くの、海洋深層水スパ「シレスト室戸」近くに移動。そこで目標の一つである新年の御来光を拝みました😊
その後、シレスト室戸でお風呂に入り(気持ちよかった)室戸岬先端にある二十四番札所「室戸山 明星院 最御崎寺」をお参りしました。
車で室戸岬先端を西に回りこみ室戸スカイラインに入ります。
この入口の交差点が何ともビミョーな作りでよく見て進行しないと事故しそうな気がします!
室戸スカイラインのつづら折りの道を上がっていくと右側に最御崎寺の駐車場があります。
車を止めてから緩やかな坂道を5分ほど登っていくと最御崎寺が左手にあります。
もう少し先に進んだ「最御崎寺へんろセンター」にも駐車場があり、そこからもお寺に行けますが、駐車場が有料みたいです。
山門をくぐって正面の少し奥に本堂が見えます。
元旦だからなのかクレープ屋さんともう一台のキッチンカーが敷地内に止まっていました。
左手に鐘石と言う大きな岩が置いてあり、その窪みを石で叩くと澄んだ金属音がします。
その先右手に鐘楼堂と多宝塔があり、更に進むと本堂です。
かなり大きな本堂で、緑の木々に守られた厳かな本堂です。
807年に嵯峨天皇の勅命で室戸岬を訪れた弘法大師が、虚空蔵菩薩を彫ってこのお寺を開いたそうです。
このお寺は地元の人達からは東寺と呼ばれて親しまれているようです。
ちなみに西寺もありまして、少し西にある二十六番札所の金剛頂寺がそれに当たります。
大師堂は先述の鐘石の近くにあります。
室戸岬は弘法大師が修行で悟りを開いた場所なので大師とは浅からぬ縁のある場所だったのですね。
ご納経をいただいた後で山門をくぐり退出し、駐車場とは反対方向の左にむくと程なく室戸岬灯台があります。
ここからの風景は息を飲むような広大な海が広がり海と地球の広さを実感させられます。
波打ちよせる岸辺から水平線までどこを切り取っても美しいの一言です。
ここも離れたくない場所のひとつでした。
本当に美しいお寺でしたよ。
余談ですが先述のキッチンカーの所に地元のヤンチャそうな子供たちが数人集まっていてとても賑やかだったのが少し残念でした💦
しかもあろう事か、鐘石叩いていたら遠くでその子供たちが「あのハ○たオッサン、石叩いちょるわぁ」と大きな声でのたまうのです。
確かに頭髪がほんの少し薄くなってきて「ハ○てる」と言われるのは仕方ないのですが、元旦早々にとても複雑な気分にさせられたのは残念でした💦
この子達もあと30年か40年ほどしたら同じ頭になりますのにねぇ(笑)
駐車場に戻って室戸スカイラインの素晴らしい景色を見ながら室津の集落内にある二十五番札所津照寺へと車を向けました。
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【室戸山(むろとざん)明星院(みょうじょういん)最御崎寺(ほつみさきじ)】
本尊:虚空蔵菩薩
宗派:真言宗豊山派
開基:弘法大師
弘法大師(774-835)は、19歳のとき、室戸岬の東側の洞窟(御厨人窟(みくろど))にこもり、 虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)の修行をした。このとき、空の明星が口に飛び込んだことにより、大師は求聞持法を成就したのだと悟ったという。(虚空蔵求聞持法:「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」を1日1万回ずつ100日かけて100万回唱えるという修行法) 弘法大師24歳の時の著作として有名な「三教指帰(さんごうしいき)」に次のように記されている。「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」
その後、807(大同2)年、唐から帰朝した翌年に再び室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫って本堂を建立した。嵯峨天皇(在位809-823)をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進を受けて長く栄えた。
最御崎寺は、室戸岬の東方向に位置するため、「東寺」と呼ばれている。

【24_T.Hamada's view】
仁王門

【24_「空海」名前の所以】
19歳の弘法大師が修行したとされる室戸岬の洞窟がある。洞窟の内側から見える光景は空と海が一体となって見え、「空海」と名乗る所以になったとも言われる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)


この日の最後の目的地は“室戸岬”です。ここはスポット巡礼では決して外したくない場所の代表格であり、弘法大師空海が“虚空蔵求聞持法”を修して覚りを開いたという『御厨人窟(ミクロド)』があります。ここは23番札所『薬王寺』から約75km、歩き遍路だと3日はかかるという大変な道のりです。その国道55号線を歩いて岬へと向かうお遍路さんが実際に何人も車から見えたことにはとても感動しました。参拝と宿泊道具で荷物はかなりの重量の筈です。それを背負って、これだけの距離を歩くというのは想像を絶するものがあります(ここぞとばかりに、その姿を1枚撮影しておこうと思い立った途端もう見かけなくなってしまいました---残念)。
大師は唐に渡った時には既に中国語がペラペラだったともいわれ、サンスクリット語(梵語)についても学習しながら、20年は掛かるともいわれる真言密教のすべてを僅か半年で、ほぼ不眠不休にて修得したという。その奇跡的な天才超人ぶりを可能にしたのが虚空蔵求聞持法の修行です。この法を成就すると、目はカメラとなり、耳はテープレコーダーと化すがごとく人間離れした超人的な記憶力を身に着けることができるものとされています。大師は19歳頃から繰り返しこの法に挑み続け、22歳の時この洞窟にてついに求聞持法を成就。“明星が飛来して口に飛び込む”という超常体験をして覚醒したといわれています。その時、洞窟の中から見える外の眺めが空と海が上下二分割に見えることから、自身を“空海”と名乗ることにしたと伝わります。この洞窟手前の段差のところには侵入を拒むよう柵が掛かっており、そこには1枚の注意書きがありました。要するに、意味としては「落石の危険があるので、洞窟に入るかどうかはすべて自己責任で...。」というものでした。母に、「どうするか?」と尋ねたところ、「護られてるから絶対に大丈夫!!」と分かりきった返答(笑)。ならばと、二人で柵を越えて石垣もよじ登っていざ洞窟の中へと侵入。曇り空の中、すでに時刻は日没を過ぎていて洞窟内は真っ暗闇。なんとか最奥部の祭壇前まで行って、燈明と線香を捧げて御宝号を唱えてくることができました。洞窟を出てから、室戸青年大師像と幕末明治維新の中岡 慎太郎像(坂本 龍馬の親しい友人で龍馬と一緒に暗殺された志士)の前にて記念撮影。この日は最御崎寺の宿坊『最御崎寺へんろセンター』にて宿泊。時間的に参拝は明日になりました。
宿坊のロビーには、遍路用品やお守り等々がズラーリと並べられていて観るものがいっぱいありました。そして、何よりも浴場がとても広くて大変気持ちの良いものでした。湯船脇には“湯掛け大師”像というのがあり、そこには備え付けの柄杓で風呂のお湯を大師像に掛けながら御宝号を唱えて祈願すると良い、との説明書きが...。自分が浸かっているお湯を掛けるというのは一見すると失礼な行為にも見えるのですが(笑)、たぶん気持ちがあれば何でもいい的な発想なのでしょう。つまり、肝心なことは、お大師さまと向き合い、御宝号を唱えながら祈る習慣を人々に身につけてもらう~というのが狙いなのかな? と、この私は思います。私も遠慮なく、繰り返しお湯を掛けながら御宝号を唱えて母の脚について祈願させて頂きました(合掌)。
23日(火)は、24番札所『最御崎寺』の参拝からスタート。この『宿坊へんろセンター』に宿泊すると宿の中庭から寺院へと直接行ってくることができるのが大変ありがたいところで、札所の参拝を済ませてから宿のチェックアウトができます。そして、ここが終わって次は、66番札所『雲辺寺』に行けるロープウェイ乗り場「山麓駅」までの約165kmもの長距離ドライブです。
ブログ---宝珠diary
『Occultist による仏教論考 etc.』
https://houju-isis.fc2.net/blog-entry-12.html
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