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本社宮について

源頼義が源氏の氏神として石清水八幡宮を勧請し、懐島八幡宮と称したのが始まりです。鶴嶺八幡宮が創建されてからは矢畑の鎮守となり「本社宮」と改称され今に至ります。鶴嶺八幡宮の兼務社になります。

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こばけん
こばけん
2024年07月20日(土) 13時10分40秒
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24.07.17。先の長善寺に隣接した茅ヶ崎市矢畑の住宅街に鎮座。

御祭神 誉田別命

例祭日 9月5日

【由緒】
 本社宮は、1030年(長元6年)、平忠常の乱を鎮圧するため東征した源頼義が懐島郷矢畑村に京都の岩清水八幡宮を勧請して懐島八幡宮を創建し、戦勝祈願を行ったことに始まる。
 頼義の子義家は、後三年の役の折、懐島八幡宮に祈願して反乱を平定。神恩に感謝した義家は、1089年(寛治3年)、隣郷の浜之郷に社領を寄進して鶴嶺八幡宮を創建。
 これにより、懐島八幡宮は本社宮と改称され、以来、矢畑村の鎮守として崇敬されてきた。
〜Webサイト「鎌倉手帳」より〜

 本日のラスト箇所。《湘南の八幡さん》と呼ばれる鶴嶺八幡宮が、当宮から始まったとのことを知り歴史の勉強となる参詣でした。無人の神社ですが、鶴嶺八幡宮の兼務社で、手入れは良く行き届いているようです。

本社宮(神奈川県)

鳥居
平成19年4月建之。

本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)

社殿

本社宮(神奈川県)

狛犬(阿形)

本社宮(神奈川県)

(吽形)

本社宮(神奈川県)

拝殿

本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)

木鼻

本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)

本殿

本社宮(神奈川県)

矢畑地区の大東亜戦争戦没者の慰霊碑
英霊15柱が合祀されています。
昭和41年9月5日建立。

本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)

名前不詳

本社宮(神奈川県)

笠付き庚申塔

本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)

神輿殿

本社宮(神奈川県)

今上陛下ご即位記念植樹。

本社宮(神奈川県)

以前の鳥居

本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)

境内には遊具もあります。

本社宮(神奈川県)

境内には矢畑自治会館があります。

本社宮(神奈川県)
本社宮(神奈川県)
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歴史

長元3年(1030)源頼義は勅命により東征(下総の乱)の途次、当村の南、鎌倉街道に接した佐塚大明神の丘に、源家の守護神石清水八幡宮(誉田別命)を勧請、戦勝を祈願した。
天喜3年(1055)鎮守府将軍頼義は、長子八幡太郎義家(13歳)と安部一族の乱(前九年の役)に向かう途次、再度懐島八幡宮に戦勝を祈願し、乱を平定したのを機会に神恩に報いて康平6年(1063)懐島八幡宮を鎌倉に勧請、鶴岡八幡宮を創建した。(乱橋の元八幡)
応徳3年(1085)鎮守府将軍義家は、清原一族の乱(後三年の役)に懐島八幡宮に重ねて戦勝を祈願し、寛治元年(1087)平定した。
寛治3年(1089)義家は度重なる神恩に感謝の意をこめて、広大なる神域を隣村浜之郷に設け、鶴嶺八幡宮を創建し、以来太子免の懐島八幡宮は、本社宮と改称され、当村の鎮守となり、霊験あらたかなる神として崇敬されてきた。
殊に享保2年(1717)より祭典は氏子総出で、超大幟を立てるなど盛大に行われてきたが、天保年間に現在地の南隣りに遷座して参拝と管理を便にし、昭和2年(1927)現在地に再遷座したものである。

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本社宮の基本情報

住所

神奈川県茅ヶ崎市矢畑142

行き方

JR茅ヶ崎駅北口よりバス乗車、「矢畑」下車、徒歩3分

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名称

本社宮

読み方

ほんしゃぐう

参拝にかかる時間

5分

トイレなし

詳細情報

ご祭神誉田別命
創建時代

長元3年(1030)

創始者

源頼義

ご由緒

長元3年(1030)源頼義は勅命により東征(下総の乱)の途次、当村の南、鎌倉街道に接した佐塚大明神の丘に、源家の守護神石清水八幡宮(誉田別命)を勧請、戦勝を祈願した。
天喜3年(1055)鎮守府将軍頼義は、長子八幡太郎義家(13歳)と安部一族の乱(前九年の役)に向かう途次、再度懐島八幡宮に戦勝を祈願し、乱を平定したのを機会に神恩に報いて康平6年(1063)懐島八幡宮を鎌倉に勧請、鶴岡八幡宮を創建した。(乱橋の元八幡)
応徳3年(1085)鎮守府将軍義家は、清原一族の乱(後三年の役)に懐島八幡宮に重ねて戦勝を祈願し、寛治元年(1087)平定した。
寛治3年(1089)義家は度重なる神恩に感謝の意をこめて、広大なる神域を隣村浜之郷に設け、鶴嶺八幡宮を創建し、以来太子免の懐島八幡宮は、本社宮と改称され、当村の鎮守となり、霊験あらたかなる神として崇敬されてきた。
殊に享保2年(1717)より祭典は氏子総出で、超大幟を立てるなど盛大に行われてきたが、天保年間に現在地の南隣りに遷座して参拝と管理を便にし、昭和2年(1927)現在地に再遷座したものである。

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