えがらてんじんしゃ
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楽しみ方荏柄天神社のお参りの記録一覧

鎌倉宮のすぐ近くに鎮座されている荏柄天神社様へあがらせていただきました。こちらは学問の神様として有名な菅原道真公を御祭神としてお祀りしています。創建は長治元年(1104年)、この地に雷雨が降り、その時に黒い束帯姿の天神画像が天から降ってきたため、神験を怖れた里の人達によって社殿が建立され、その天神画像を奉納しお祀りしたのがその始まりといわれています。
今日は3月2日でまさに入試を終えたであろう人達がお礼参りに来ているのをお見かけしました。私も約10年前に大学受験をしたので少し懐かしく感じました。




境内にある御神木のイチョウの木がとても印象的でした



24.12.04。先の覚園寺より徒歩15分。鎌倉市二階堂の閑静な住宅地に鎮座。
御祭神 菅原道真公
創建年 長治元年(1104年)
社格等 旧村社
【由緒】〜当社HPより抜粋〜
長治元年晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀った縁起に始まります。関東を中心に各地に分社を持ち、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三古天神社と称さる古来の名社です。
古都鎌倉の紅葉🍁巡り⑤
3年9ヶ月振りの参拝。国指定史跡の境内にある樹齢900年と伝わる、御神木の大イチョウが黄葉していて目を惹きます。参拝者は他に二人ほどでしたので、ゆっくり時を過ごせました。

一の鳥居

社号標


参道



二の鳥居

菅公1000年祭記念碑


参道

大銀杏

神門

扁額「天満宮」


境内

手水舎


拝殿


本殿(左)国の重要文化財

かっぱ筆塚




絵筆塚


大銀杏



大欅

熊野権現入り口





神輿庫

社務所

おまけ
近くで人力車を見かけました。

神奈川県 鎌倉市 二階堂 に鎮座する、荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます 2024 に参拝致しました、対応は 親切で丁寧な神社でした、どの様な神社か引用を用いて調べてみました、
主祭神は 菅原道真、社格等は 旧村社、創建年は 長治元年(1104年)本殿の様式は 三間社流造、社伝によれば、長治元年(1104年)、菅原道真を勧請し創立されたと伝わり、古くは荏柄山天満宮とも称される、創祀については、社蔵の江戸時代の書「相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起」によると、長治元年(1104年)8月25日に、空が突如暗くなり雷雨と共に黒い束帯姿の天神画像が天降り、里人がこの神験をおそれ降臨の地に社殿を建て、その画像を納め崇拝し、銀杏の木を植え神木としたとあり、境内には今も大銀杏がある、天保12年(1841年)の『新編相模国風土記稿』には、鎌倉幕府の鬼門鎮護のために祀られたとの社伝が記されている、社号の「荏柄」は、正倉院文書の天平7年(735年)の『相模国封戸租交易帳』や『倭名類聚抄』の相模国鎌倉郡にある「荏草郷(えがや)」が転じて「エガラ」となり、「荏柄」と表記されたものと考えられている、境内は、周囲よりも7メートル程高く、東西約55メートル、南北約50メートルの削平地に社殿が設けられ、社殿の後方は人工的に切り落とした急な崖である。社殿の両側は袖状の尾根が張り出し、鶴岡八幡宮の上宮敷地造成との共通性がみられる、
『吾妻鏡』によれば1180年(治承4年)に鎌倉の大倉郷に頼朝の邸となる大倉御所が置かれたが、当社は幕府の鬼門に位置するため、鬼門の守護神として崇敬し、社殿を新たに造立[3][5]。以後、歴代の将軍家を始め、鎌倉幕府の崇敬社となり、鎌倉時代初期より幕府との関わりが記録に見え『吾妻鏡』にはしばしば当社の記事がみられる、『吾妻鏡』での初出は、建仁2年(1202年)9月11日条で、鎌倉幕府第2代将軍・源頼家が大江広元を荏柄社祭の奉幣使として当社に派遣し、御祭神・菅原道真の御神忌三百年祭を執り行ったとある、建保元年(1213年)2月25日・26日条には、渋川兼守が泉親衡の謀反(泉親衡の乱) に加担したと捕らえられたが、冤罪を訴えて和歌十首を荏柄天神社に奉じたことで、和歌が将軍・実朝の目にとまり、罪を許されたとあり、「兼守虚名を愁へ篇什を奉りて、すでに天神の利生に預り、また将軍の恩化を蒙る。およそ鬼神を感ぜしむる、ただ和歌にあるものか」と評している、
室町時代には鎌倉府の足利氏、その後も後北条氏、豊臣秀吉、徳川家康など時の権力者の庇護を得た。天文17年(1548年)、小田原城主・北条氏康は、金沢街道に関所を設け通行の人馬から関銭を徴収して当社社殿造営のために充てた。今もその地に関取場跡がある。『小田原衆所領役帳』に荏柄天神領「廿一貫百文鎌倉社地之内」とみえる、天正18年(1590年)4月に、鶴岡八幡宮と当社の造営を沙汰し、天正19年(1591年)徳川家康は「小坂郡鎌倉之内」より19貫200文の土地を寄進し社殿の修繕が行われている、元和8年(1622年)、徳川秀忠による鶴岡八幡宮造営の際に、若宮旧社殿を当社に移し、幕府の援助で造営が行われている。これ以後、幕府による30年から40年ごとの鶴岡八幡宮修繕に併せ、当社も修繕されているが、修繕の際、鶴岡八幡宮古材、残材を拝領し修理が行われ、当社は鶴岡八幡宮と並ぶ武門の神として維持されてきた、江戸時代中頃以降に教王護国寺派の一乗院が別当としておさめ、明治の神仏分離によって村社となった、
境内地は宗教的な環境を良好に残しており、武家の信仰形態を伝える遺跡として国の史跡に指定されている。
鶴岡八幡宮の宮司が当社の宮司を兼任しており、2024年3月に鶴岡八幡宮の神社本庁からの離脱に追従する形で、白旗神社 (鎌倉市西御門)とともに神社本庁からの離脱を通告した











鎌倉宮の近くにある荏柄天神社様に初めてお参りさせて頂きました。
鎌倉十三仏の巡礼中に前を通っただけだったので、今回お参りさせて頂きました。
天神社様なので、受験当日の早朝祈祷が受けられるそうです。ワタシはもうそんな機会はほぼ無いのですが、天神様の護りを受けて受験できるのはありがたいですね。

お社の入り口です。大きな木の奥に鳥居があります。

階段を上って社に入ります。

手水舎です

天神社なので、梅の花から水が出ています。

拝殿です。

初夏の鎌倉めぐり (6/8) 三古天神社の一社『荏柄天神社』
梅の神紋が目を惹く御社殿は国の重要文化財 ٩(ˊᗜˋ*)و
福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に歴史ある古来の名社!
とても趣があり素敵な境内♪あちらこちらの梅紋にテンションが上がりました~
美しい文字に神牛が押印された御朱印は大好きなタイプ💓
天満宮のオリジナル感あるおみくじが気になりつつも、次の参拝へと急ぎました、、

古くは荏柄山天満宮とも称された鎌倉のてんじんさま✨
真っ赤な御社殿の梅紋が素敵!

書き入れていただいた御朱印も美しい🥰

鎌倉では奥の方〜
静かでゆったりできるエリア🌿


階段を上がり境内へ向かう
長治元年(1104年)、晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀ったのが縁起🙏

神門にも梅😊


御神木の大銀杏

手水舎

こちらも梅!!

鮮やかな御社殿は重要文化財✨
今年は天満宮にご縁を感じる年🙏

かなり迷った変わったおみくじ

境内社 熊野権現社へ!

太宰府天満宮でもみつけた、階段に埋め込まれた石の梅😊

ここは空気感が違います、、
静かに参拝🙏


神輿庫

奥には、かっぱ筆塚と絵筆塚


幕府の鬼門に位置することから、源頼朝公を始め歴代の将軍家から鎌倉幕府の尊社として篤く崇敬された当社。
その歴史を感じられる佇まいでした😌
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