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神奈川県 鎌倉市 小町 に境内を構える、妙厳山 本覺寺(みょうごんざん ほんがくじ)別称は東身延 (身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため東身延と呼ばれる) 日朝様 、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024 に 鎌倉十三仏霊場巡礼 鎌倉江の島七福神巡礼にて参拝致しました、綺麗に手の行き届いた 境内、本堂、夷堂、寺院対応も窓口が在り親切スムーズでした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 妙厳山、寺号は 本覺寺、宗旨 宗派は 日蓮宗、寺格は 本山(由緒寺院)ご本尊は 三宝尊、鎌倉十三仏霊場 第三番札所(文殊菩薩) 鎌倉江の島七福神(恵比寿、夷神)身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため現在の本覺寺の山門がある場所の前には「夷堂」と呼ばれる堂があった。この夷堂は源頼朝が鎌倉幕府開幕の際に、幕府の裏鬼門(南西)にあたる方向の鎮守として建てたとされ、天台宗系のものであった。文永11年(1274年)に佐渡配流から帰った日蓮が四十数日に亘ってこの夷堂に滞在し、三度目の『立正安国論』奏進に備えたと伝わっている。永享8年(1436年)、気鋭の布教伝道で名高かった一乗房日出が常在山 本覺寺(静岡県三島市)から鎌倉へ転出、天台宗金龍山釈満院円頓宝戒寺の住僧・心海と問答を繰り広げ(永享問答)勝利を収めた。日出の勢力拡大を危惧した心海が諸宗の僧侶と合議の上で時の鎌倉公方・足利持氏に讒訴し、また日出もこれと同時(6月2日付)に事の顛末を記した『問答始末記』を提出した。その結果、足利持氏は鎌倉府中の日蓮宗の壊滅を画策し、16ヶ寺の取り潰しと僧侶及び信徒への弾圧を試みた。ところが、これに反発する信徒衆数百が荒居閻魔堂(現在の新居山圓應寺)に集結し一触即発の状態になった。当時幕府との緊張関係が極限を迎えていた持氏は、この蜂起が“鎌倉府討伐の口実”となる事を憂慮し処分を撤回。更に日出に対して日蓮の国家諌暁ゆかりの夷堂とその社領12000坪を寄進して法華寺院の建立を認めた。これが本覺寺創建の由来と伝えられている。なおこの一連の騒動は「永享法難」と称されている。
その後文安3年に日出の弟子・行学院日朝が第2世として晋山する。15年の在山の後に身延山 久遠寺第11世として栄晋し、当時衰退の一途を辿っていた身延山の再興を図った。その際、身延山への参詣が困難な老人や女性のために身延山より日蓮の遺骨を分骨して本覺寺に納めた。これ以降「東身延」と称されると共に、日朝が眼病の治癒で非常に信仰を集めたため「日朝様」とも呼ばれ親しまれた。
戦国時代以降には、後北条氏・豊臣氏・徳川氏から代々寺領12貫200文を保証され、塔頭末寺併せて10ヶ寺を擁する中本寺へと発展する。更に時が下り開山700年の節目にあたる昭和49年(1974年)には本山(由緒寺院)に昇格し、現在まで隆盛を誇っている。
現住は52世・永倉日侃貫首(神奈川県藤沢市常立寺より晋山)潮師法縁

神奈川県 鎌倉市 小町 に境内を構える、妙厳山 本覺寺(みょうごんざん ほんがくじ)別称は東身延、御首題です。

神奈川県 鎌倉市 小町 に境内を構える、妙厳山 本覺寺(みょうごんざん ほんがくじ)別称は東身延、鎌倉江の島七福神(恵比寿、夷神)



正式名:妙厳山本覚寺
通称:東身延、日朝さま
神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の本山。本尊は釈迦三尊像。身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため「東身延」とも呼ばれる。
現在の本覚寺の山門がある場所の前には、夷堂と呼ばれる堂があった。この夷堂は、源頼朝が鎌倉幕府の開幕の際に、幕府の裏鬼門(南西)にあたる方向の鎮守として建てたとされ、天台宗系のものであった。
文永11年(1274)に佐渡配流から帰った日蓮が、この夷堂に滞在し、辻説法などの拠点としていた。その後、永享8年(1436)に一乗院日出が日蓮にゆかりの夷堂を天台宗から日蓮宗に改め本覚寺を創建したという。
後に身延山を再興した第2世の行学院日朝は身延山への参詣が困難な老人や女性のために、身延山より日蓮の遺骨を分骨して本覚寺に納めた。これが本覚寺が「東身延」と呼ばれる由縁である。
元々は中本山であったが、昭和49年(1974)に本山(由緒寺院)に昇格している。

GW前半は、鎌倉で御朱印散歩。 この日最後は本覺寺へ。 永享8年(1436年)、日出上人(にっしゅつ)が鎌倉公方・足利持氏(あしかがもちうじ)の支援により創建した日蓮宗のお寺です。 かつてこの地には、源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉幕府開幕の際に幕府の裏鬼門(南西)の鎮守として建てた「夷堂」と呼ばれる天台宗系のお堂があり、文永11年(1274年)、佐渡流罪を解かれ鎌倉に戻った日蓮上人(にちれん)は辻説法の拠点としてこの堂に滞在し、布教を再開したと言われています。 夷堂は元弘3年(1333年)の東勝寺合戦の際に焼失してしまいますが、日蓮ゆかりの場所として前段の日出上人によって天台宗から日蓮宗に改められ本覚寺を創建、境内に夷堂も再建されました。 また、二世の日朝上人(にっちょう)によって日蓮宗総本山の身延山久遠寺から、日蓮上人の遺骨を分骨した為、日蓮宗の本山(由緒寺院)として「東身延」とも称されています。 境内は割と広く山門や本堂も立派なお寺で見所もありますが、宝戒寺や妙隆寺同様に鶴岡八幡宮のような人で溢れる様は無く、落ち着いた雰囲気の中静かにお参りできました。 御朱印は日朝上人のものを戴きました。
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24.04.01 鎌倉「本覚寺」 高木の枝垂れ桜の開花が見頃の頃

01-1) 鎌倉 ’ 日朝さま ’、’ 東身延 ’ 日蓮宗本山寺格由緒寺院
「妙厳山本覚寺(みょうごんさんほんがくじ)」 _ 鎌倉市小町
源頼朝が鎌倉幕府裏鬼門に建立の天台宗系 ’ 夷堂 ’ 跡周辺に、
年月を経た永享8年(1436年)一乗院日出が
(現行呼称の)日蓮宗に改め創建とされる。
鎌倉江の島七福神(夷神)、鎌倉十三仏霊場 第3番(文殊菩薩)
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01-2)
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24.01.03E 鎌倉「本覚寺」新年 初参拝 _ 鎌倉市小町

01) 鎌倉 ’ 日朝さま(にっちょうさま/ニッチョさま) ’、 ’ 東身延 ’
日蓮宗本山寺格由緒寺院「妙厳山本覚寺(みょうごんさんほんがくじ)」参拝。
源頼朝が鎌倉幕府裏鬼門に建立の天台宗系 ’ 夷堂 ’ 跡周辺に、
年月を経た永享8年(1436年)一乗院日出が(現行呼称の)日蓮宗に改め創建とされる。
鎌倉江の島七福神(夷神)、鎌倉十三仏霊場 第3番(文殊菩薩) _ 鎌倉市小町
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山門を潜りながら
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02) 本堂方向、遠景。
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