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ふだらくじ|真言宗大覚寺派南向山

補陀洛寺のお参りの記録一覧
神奈川県 和田塚駅

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2025年12月31日(水)500投稿

神奈川県 鎌倉市 材木座1に境内を構える、南向山 帰命院 補陀洛寺(なんこうさん きみょういん ふだらくじ)当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024 鎌倉三十三ヶ所観音霊場巡礼にて参拝致しました、親切、丁寧の寺院でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 南向山、院号は 帰命院、寺号は 補陀洛寺、宗旨 宗派は 古義 真言宗、真言宗 大覚寺派、ご本尊は 十一面観世音菩薩、鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第十七番札所(十一面観世音菩薩)創建は養和元年(1181年)源頼朝の祈願所として建立された、元は京都仁和寺末(新編鎌倉志)、後に青蓮寺末(関東古義真言宗本末帳)、現在京都 大覚寺末寺。開山は文覚上人、開基は源頼朝と伝える。のち、鶴岡供僧頼基が中興した。元の本尊は薬師三尊、(薬師如来。日光菩薩、月光菩薩)(新編鎌倉志)他不動明王。始めと終わりが無くなっている勧進帳があって(新編鎌倉志)、これによって開山、開基のことが推定できたらしいがいまはない。頼基は仏乗坊の八代及び十代で、建武三年六月に還補されているから、この寺の鐘(「考古編」鎌倉の古鐘  註・この鐘は現在東慶寺にあり補陀楽寺と銘記されている)ができた観応元年には供僧であったことになる。当寺が頼朝と関係があることは、前述の勧進帳に見えるのを初見とするが、もし「新編鎌倉志」のいうようにこれが頼基の作とすれば、南北朝の頃からそう言われていた事になる。事実、頼朝の供養をここでする事になっていたらしい。(「史料編」1の594)「関東古義真言宗本末帳」にも、補陀洛寺、源頼朝御位牌所、寺内門前屋敷御免とみえている。明治初年の火災で殆ど烏有に帰したが、その時誰も出した覚えがないのに、仏像類は全部無事であったという。大正十二年震災で全壊し、現在の本堂は大正十三年春の建立である

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2020年08月28日(金)2218投稿

20.08.27 鎌倉「補陀洛寺」参拝、古木の百日紅が咲く頃。_ 鎌倉市材木座

補陀洛寺のその他建物

01-1) 真言宗大覚寺派「南向山帰命院補陀洛寺(ふだらくじ)」
鎌倉三十三観音霊場 第十七番 _ 鎌倉市材木座 9:04am頃~

嘗ては大伽藍を擁し、
源頼朝が戦勝祈願する寺院であり没後の頼朝を供養する寺院とされる。
鎌倉でも大町~材木座は寺院が集中する地域だが、
どの寺院も古くからの由緒が有りながらも
現在は民家に囲まれて小ぢんまりとした佇まいで存続する。
’ 永福寺跡(ようふくじあと) ’ や ’ 勝長寿院跡 ’ のように
頼朝が開基の大寺院は廃寺になったが、「補陀洛寺」は存続している。

補陀洛寺のその他建物

01-2) 石碑と門柱。
     低い石碑には ” 大師道 ”
     高い方は寺号標だけど風化が激しくて読みづらいが
             ” 源頼朝公御祈願所南向山補陀洛寺 ”。 
創建:養和元年(1181年) 開山:文覚上人 開基:源頼朝 
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