ふだらくじ|真言宗大覚寺派|南向山
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楽しみ方補陀洛寺のお参りの記録一覧

鎌倉三十三観音第17番。
十一面観世音菩薩。
本堂では寺職の方が忙しそうに年始の準備をされていました。
そのおかげか、本堂が開いており、ご本尊様を拝観できました。



神奈川県 鎌倉市 材木座1に境内を構える、南向山 帰命院 補陀洛寺(なんこうさん きみょういん ふだらくじ)当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024 鎌倉三十三ヶ所観音霊場巡礼にて参拝致しました、親切、丁寧の寺院でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 南向山、院号は 帰命院、寺号は 補陀洛寺、宗旨 宗派は 古義 真言宗、真言宗 大覚寺派、ご本尊は 十一面観世音菩薩、鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第十七番札所(十一面観世音菩薩)創建は養和元年(1181年)源頼朝の祈願所として建立された、元は京都仁和寺末(新編鎌倉志)、後に青蓮寺末(関東古義真言宗本末帳)、現在京都 大覚寺末寺。開山は文覚上人、開基は源頼朝と伝える。のち、鶴岡供僧頼基が中興した。元の本尊は薬師三尊、(薬師如来。日光菩薩、月光菩薩)(新編鎌倉志)他不動明王。始めと終わりが無くなっている勧進帳があって(新編鎌倉志)、これによって開山、開基のことが推定できたらしいがいまはない。頼基は仏乗坊の八代及び十代で、建武三年六月に還補されているから、この寺の鐘(「考古編」鎌倉の古鐘 註・この鐘は現在東慶寺にあり補陀楽寺と銘記されている)ができた観応元年には供僧であったことになる。当寺が頼朝と関係があることは、前述の勧進帳に見えるのを初見とするが、もし「新編鎌倉志」のいうようにこれが頼基の作とすれば、南北朝の頃からそう言われていた事になる。事実、頼朝の供養をここでする事になっていたらしい。(「史料編」1の594)「関東古義真言宗本末帳」にも、補陀洛寺、源頼朝御位牌所、寺内門前屋敷御免とみえている。明治初年の火災で殆ど烏有に帰したが、その時誰も出した覚えがないのに、仏像類は全部無事であったという。大正十二年震災で全壊し、現在の本堂は大正十三年春の建立である








24.04.06。先の千手院より徒歩5分。鎌倉市材木座6丁目の閑静な住宅地にある真言宗大覚寺派の寺院。
本日の鎌倉花詣その⑥。鎌倉33観音巡りとして参詣(31/33)。こちらは境内の百日紅が見事で樹齢200年と言われます。夏のお盆の頃が見頃のようです。

鎌倉三十三観音霊場第17番札所
札所本尊:十一面観世音

入り口方向

右:「源頼朝公祈願所 補陀洛寺」
左:「大師道」

入って左側の五輪塔

参道

百日紅
奥の建物は庫裡です。


シャガですかね!

本堂



庫裡方向
直書きの御朱印を拝受しました。



千手院の次に補陀洛寺を参拝しました。この後に九品寺にも寄りましたが法要中だったので補陀洛寺が最後となりました。今回も沢山巡りました。鎌倉駅近くの町中華 大新にてラーメン・チャーハンで大満足でした。





補陀洛寺の本堂


補陀洛寺の内陣

鎌倉33観音17番の御朱印

補陀洛寺の由緒

21.10.09。先の千手院より徒歩5分。
鎌倉市材木座6丁目にある真言宗大覚寺派寺院。
正式名:南向山 帰命院 補陀洛寺
創建 養和元年(1181年)
開基 源頼朝
開山 文覚上人
本尊 十一面観世音菩薩
札所 鎌倉三十三観音霊場 第十七番
新四国東国八十八ヶ所霊場 第八十一番
弘法大師相模二十一ヶ所霊場 第十番
源頼朝公が打倒平家を祈るため、「祈願所」として建てた寺院です。創建当時は七堂伽藍を構えた大寺院でしたが、度重なる火災や竜巻の被害に遭い、現在の本堂を残すのみとなりました。別名「竜巻寺」と呼ばれています。寺名の「補陀洛(ふだらく)」とは、観世音菩薩の浄土を表す言葉であり、梵語のポータラカを音写したものです。(当寺リーフレットより)
静かな住宅街にひっそりと佇むお寺さんで、週末の昼下がり、本堂ではお檀家さんと思われる方の法事のお経が聞こえておりました。寺務所では住職の奥様(たぶん?)に直書きの御朱印を拝受しました。丁重なご対応に感謝です。

ご本尊

弘法大師相模二十一ヶ所霊場第10番

山門

右側は寺号標
「源頼朝公御祈願所 補陀洛寺」
左側の標石は「大師道」

参道

サルスベリの木

本堂



神奈川県立湘南高校の一瀬正毅先生を偲ぶ碑。夏の甲子園初出場優勝時(昭和24年)の野球部監督。




七重石塔

寺務所
直書きの御朱印を拝受しました。

20.08.27 鎌倉「補陀洛寺」参拝、古木の百日紅が咲く頃。_ 鎌倉市材木座

01-1) 真言宗大覚寺派「南向山帰命院補陀洛寺(ふだらくじ)」
鎌倉三十三観音霊場 第十七番 _ 鎌倉市材木座 9:04am頃~
嘗ては大伽藍を擁し、
源頼朝が戦勝祈願する寺院であり没後の頼朝を供養する寺院とされる。
鎌倉でも大町~材木座は寺院が集中する地域だが、
どの寺院も古くからの由緒が有りながらも
現在は民家に囲まれて小ぢんまりとした佇まいで存続する。
’ 永福寺跡(ようふくじあと) ’ や ’ 勝長寿院跡 ’ のように
頼朝が開基の大寺院は廃寺になったが、「補陀洛寺」は存続している。

01-2) 石碑と門柱。
低い石碑には ” 大師道 ”
高い方は寺号標だけど風化が激しくて読みづらいが
” 源頼朝公御祈願所南向山補陀洛寺 ”。
創建:養和元年(1181年) 開山:文覚上人 開基:源頼朝
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02-1) 境内へ入って左側。 五輪塔(と呼んでよいのか?)。

02-2) 境内に入って左側の遠景

02-3) (現・神奈川県立)湘南高校の先生で甲子園で
初出場初優勝した時の野球部長だった
” 市瀬正毅先生を偲ぶ ” と書かれた記念碑
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03-1) 百日紅の古木

03-2) 百日紅の古木
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04-1) 本堂

04-2) 寺号標札

04-3) 本堂に向かって右手前の、供養塔群。
懇ろに盂蘭盆会の卒塔婆が立てられている。

04-4) 本堂に向かって右手前の、石造の七重塔。
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現在の佇まいからは計り知れないほどの由緒と当時の寺格とともに
数度の竜巻など自然災害と火災・特に明治元年の火災から幸いにも免れたとされる
中世の仏像などの宝物を有すそうです。
Wikipediaの解説では不充分と感じましたので、
札所巡礼される方や鎌倉時代ご研究の方には下記を推奨します。
cf. 「鎌倉のお寺さん」管理者さまの 力作! webサイト
http://www.kcn-net.org/senior/tsushin/index-otera/index.html
の項目中で
→ 「南向山帰命院補陀洛寺」のページ
http://www.kcn-net.org/senior/tsushin/ttemple/0312taka/index.html
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20.08.27A #鎌倉 「 #補陀洛寺 」参拝、古木の #百日紅 が咲く頃。 _ #鎌倉市材木座
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2020-08-28#more
/#真言宗大覚寺派南向山帰命院補陀洛寺 #南向山補陀洛寺 #サンスクリット語 #ポータラカ #2020百日紅

補陀洛寺(ふだらくじ)は、鎌倉市材木座にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は南向山。本尊は十一面観世音菩薩。鎌倉三十三観音17番札所。
創建は1181年、開祖は源頼朝、開山は文覚上人。打倒平家で鎌倉入りした源頼朝の祈願寺。文覚上人は元武士で、頼朝とは流刑地の伊豆で知り合ったとされる。その後1350年に鶴岡八幡宮の供僧・頼供が中興するが、江戸期以降は寺領没収、竜巻・火災、関東大震災で規模は縮小、本尊、諸仏は無事に残っているとのこと。
当寺は、鎌倉駅の南南東1.5kmほどの場所にあり、南北に走る小町大路から東に100mほど入った静かな住宅街にある。小ぢんまりとした寺院なので見て廻るエリアは広くない。
参拝時は週末の昼ごろで、参拝者は他にはいなかった。
※鎌倉強化合宿2日目午前中、延命寺(鎌倉11番)、教恩寺(鎌倉12番)、別願寺(鎌倉13番)、安養院(鎌倉3番)、八雲神社、来迎寺(鎌倉14番)、向福寺(鎌倉15番)、九品寺(鎌倉16番)に続く9寺社目。午前中はここで終わり。

寺号標。

境内全景。

本堂正面。

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