ごりょうじんじゃ
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御霊神社ではいただけません
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御霊神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月25日(木)
参拝:2020年2月吉日
御霊神社(ごりょう...)は、神奈川県鎌倉市坂ノ下にある神社。旧社格は村社。鎌倉市には<御霊神社>が2つあるが、こちらは長谷寺や鎌倉大仏(高徳院)の近くにあって、通称「権五郎神社(ごんごろう...)」として知られている。
創建は不詳だが、平安後期と推定されている。もとは関東平氏五家(鎌倉氏、梶原氏、村岡氏、長尾氏、大庭氏)の始祖の霊を祀った神社であり、五霊から転じて御霊神社と呼ばれるようになった。その後、御祭神が鎌倉権五郎景正の一柱のみに集約され、権五郎神社とも呼ばれるようになったらしい。
御祭神の鎌倉権五郎景政は、16歳の時、後三年の役(1083年~)に源義家の陣営で従軍し、敵に左目を射られながらも屈せず射手を倒して帰還したことから、志の成就、学業成就、必勝招来の御利益があるとされる。
当社は、鎌倉駅から江ノ島電鉄で3駅4分の長谷駅から徒歩5分。江ノ電沿いの市街地と森の境にあって、境内の脇(参道の途中?)に江ノ電の踏切がある。ほどよい広さの境内には、摂末社など見どころが多い。
参拝時は週末の夕方であったが、参拝者が絶えることなく、ひっきりなしに訪れていた。
※鎌倉強化合宿1日目、杉本寺(1番札所)、光触寺(7番札所)、明王院(8番札所)、浄妙寺(9番札所)、報告寺(10番札所)、鶴岡八幡宮、高徳院(23番札所)、長谷寺(4番札所)に続く9寺社目。本日はここで終了。
創建は不詳だが、平安後期と推定されている。もとは関東平氏五家(鎌倉氏、梶原氏、村岡氏、長尾氏、大庭氏)の始祖の霊を祀った神社であり、五霊から転じて御霊神社と呼ばれるようになった。その後、御祭神が鎌倉権五郎景正の一柱のみに集約され、権五郎神社とも呼ばれるようになったらしい。
御祭神の鎌倉権五郎景政は、16歳の時、後三年の役(1083年~)に源義家の陣営で従軍し、敵に左目を射られながらも屈せず射手を倒して帰還したことから、志の成就、学業成就、必勝招来の御利益があるとされる。
当社は、鎌倉駅から江ノ島電鉄で3駅4分の長谷駅から徒歩5分。江ノ電沿いの市街地と森の境にあって、境内の脇(参道の途中?)に江ノ電の踏切がある。ほどよい広さの境内には、摂末社など見どころが多い。
参拝時は週末の夕方であったが、参拝者が絶えることなく、ひっきりなしに訪れていた。
※鎌倉強化合宿1日目、杉本寺(1番札所)、光触寺(7番札所)、明王院(8番札所)、浄妙寺(9番札所)、報告寺(10番札所)、鶴岡八幡宮、高徳院(23番札所)、長谷寺(4番札所)に続く9寺社目。本日はここで終了。
参道の鳥居。手前に江ノ電の踏切がある。
参道を進む。
社殿は一段高い場所にある。
社殿。
拝殿正面と扁額。扁額には<鎌倉権五郎神社>とある。
社殿の右手にある<袂石(たもといし)>と<手玉石>。重さはそれぞれ60㎏と105㎏。景正公が手玉に取り、袂に入れたと伝わる。
袂石・手玉石の右手にある<祖霊社>。日清・日露・太平洋戦争で亡くなったこの地域の戦没者を祀る。
祖霊社の前に立つ<夫婦銀杏>。
祖霊社の右後ろに建つ<第六天社>。
拝殿右脇に立つ末社群。異なるサイズの鳥居が2基立っているのが面白い。左から順に<金刀比羅社>、<石上神社>、<地神社>、<御嶽社>。
景正公が領地見回りの際に弓を立て掛けたと伝わる<景正公 弓立の松>。
神輿庫。
社務所脇にある<宝蔵庫>。中には鎌倉江ノ島七福神の<面掛 福禄寿>が収蔵されている。拝観有料100円。
江ノ電の線路近くの参道右脇に立つ<秋葉神社>。
江ノ電の線路近くの参道右脇に立つ<稲荷社>。
長谷寺や鎌倉大佛方面から小道で歩いて来ると、夫婦銀杏がある境内脇に着く。
すてき
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惣一郎1269投稿
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