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だいろくてんしゃ

第六天社の御由緒・歴史
神奈川県 北鎌倉駅

ご由緒

< 鎌倉市教育委員会設置の ’ 「第六天」の由来 ’ 解説ボードから引用 >

建長寺の四方の鎮守には、中央五大尊と八幡(東)熊野(北)・子神(西)・第六天(南)があり、
第六天は上町に鎮座する。
 延宝二年(1674)の徳川光圀『鎌倉日記』に
「円覚寺ヲ出テ南行シテ、第六天 森ヲ見ルとあり、
また、延宝六年(1678)の建長寺境内図(伝徳川光圀寄進)には
「四方鎮守第六天」と記されている。
 社殿に納められた建長寺第二一八世真浄元苗(しんじょうげんびょう)筆の
天宝二年(1831)の棟札(むなふだ)によって、
宝永四年(1707)に建立した社殿の破損が著しいため、
村人が願い出て再建したことが知られている。
社殿の形式は一間社流造(いっけんやしろながしつくり)で、
幕末社殿としては古風を尊重した造りといえよう。
社殿内には第六天像が中心に祀られ、
前列には持国天(じこく)・増長天(ぞうちょう)・広目天(こうもく)・多聞天(たもん)の
四天王像が安置されている。
いずれも江戸時代の作で、小像ながらも彫技は丁寧で量感に満ちた佳品である。
  第六天は仏教では他化(たけ)自在と称し、魔王の如き力を持つといわれ、
神道では第六天神、すなわち、第六番目の神と認識されている。
  神奈川県内には第六天を祀る社が一八○社以上あり、
厄病除けの神や方位神として信仰されている。
  現在、建長寺の四方鎮守の中で、その位置と沿革が明らかなのは第六天だけで、
建長寺史研究上の重要な資料であるばかりでなく、
地域にとっても貴重な文化遺産として永く後世に伝えたい。
また、第六天は、上町の氏神でもあり、
例祭は毎年七月十五日から二十二日にかけて行われる。
鎌倉市教育委員会 文化財保護課
鎌倉市山ノ内上町町内会
  加藤利雄 謹書

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