ひらつかみしまじんじゃ
平塚三嶋神社神奈川県 平塚駅
社務所:9:00~17:00
25.01.25。先の長楽寺より徒歩9分。平塚市夕陽ヶ丘の住宅街に鎮座。
《湘南ひらつか七福神・恵比寿神》
御祭神 大山祇命・事代主神
本日の「湘南ひらつか七福神」巡り②として参詣。過去3回巡ってますが、今回は現役時代の後輩さんの案内役を兼ねての巡拝です。
今回は色紙にしました。
リーフレットと福徳銭(5円玉)を頂きました。
弁天社
一の鳥居
ニの鳥居
狛犬(阿形)
(吽形)
手水舎
拝殿
本殿
社務所の左側にも
社務所
こちらで朱印を押印頂きました。
23.02.01。先の港稲荷神社様より徒歩15分。平塚市夕陽ヶ丘に鎮座。別名《湘南のえびす様》《湘南ひらつか七福神 恵比寿神》
御祭神 大山祇命・事代主大神
創建年 不詳
社格等 旧村社
例大祭 7月第3土・日曜日
【御創建】~当社リーフレットより
古文書には平安時代(794年~)に「薬師三島明神の本地仏なり 長・一尺五寸・弘法の作と伝」と記されていることから、その頃すでに多くの人々の信仰を集めていたと思われます。
戦国時代の1566年には、小田原城主の北条氏より手厚い保護を受け、魚類・船舶の集散地として栄え、江戸時代には漁業・海運業・商業の要所として急速に発展しました。江戸時代半ばには「須賀千軒」といわれるほどに人家も増え、相模国の海運、海路の玄関口として大変な賑わいを見せました。
また、伊豆・房総の人々を始め、海路での丹沢・大山詣でには須賀港に着くと必ず当神社に参拝し、道中の守護と無事を祈願することが慣わしでありました。
例大祭が「須賀のまつり」として知られておりますが、今年の祭りで神輿渡御はあるかお尋ねした所、これからの会議で計るようです。コロナでここ最近は実施されていないので、実施の運びになったら必ず見たいと思いを馳せました。
道路沿いの看板
一の鳥居
鳥居をくぐり右手に《弁天社》
↓
参道
右側は三島児童公園。
参道右手に《御神木》
↓
二の鳥居
参道右手に《大錨》
続いて《忠魂碑》
社殿遠景
狛犬(阿形)
(吽形)
手水
拝殿
↓
えびす様 御神像(銅製)
疫神社
伊邪那岐社
石神社
水神社
境内左側
奥に神輿殿、手前に神楽殿。境内は月極駐車場のようです。
社務所左手に
社務所
直書きで「須賀のまつり」の神輿の御朱印を拝受。神輿好きなのでテンション上がります。♪
頂いたリーフレット
古代の人々が(1000年以上前)、この地に足を踏み入れ漁業を中心とする生活基盤ができた頃といわれておりますが、文献などもなく定かではありません。
古文書や江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」などから平安時代(794年~)
当地は「須賀のから浜」と呼ばれ、「薬師三島明神の本地仏なり長一尺五寸弘法の作と伝」と記し、ご社殿に神さまと本地佛薬師を祀られてることが記されてます。
その頃から人々の信仰を集めていたと思われます。
時代と共に港町として発展し、戦国時代の永禄9年(1566年~)には、大名の小田原 北条氏から魚類や船運業の集散地として手厚い保護をうけ、江戸時代(1600年~)には幕府公認の港として、相模国(神奈川県)の穀物と資材等を江戸や千葉の房総半島へ運搬する海運業の要所として栄えました。
当神社も港町の総鎮守(そうちんじゅ)として、住民や魚商業、回船業の方々から厚い崇敬の念を集めました。
江戸時代半ば(1670年~)には「須賀千軒(すかせんげん)」といわれるほど商店や民家が増え、相模国の海運・海路の玄関口として大いに発展しました。
特に大山など山岳信仰が盛んになると、江戸や伊豆、房総半島から大勢の旅人が船で須賀港に寄港し、当神社に参拝し、道中の安全と心身の守護を祈願する慣わしがありました。
現在も、港町の総鎮守として「明神さま」「湘南のえびす様」の御名で親しまれ、お店や会社の「商売繁昌」、家庭の「家内安全」など家庭円満や目標達成をもたらす神社として多くの方々から厚く信仰されてます。
また、近年では「湘南ひらつか七福神」の一社、「開運のお宮」として広く遠方の方々がご参拝になられてます。
名称 | 平塚三嶋神社 |
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読み方 | ひらつかみしまじんじゃ |
通称 | 湘南のえびすさま |
参拝時間 | 社務所:9:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0463-22-3510 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.scn-net.ne.jp/~misima-j/index.html |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 大山祇命,事代主大神 |
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ご由緒 | 古代の人々が(1000年以上前)、この地に足を踏み入れ漁業を中心とする生活基盤ができた頃といわれておりますが、文献などもなく定かではありません。 古文書や江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」などから平安時代(794年~)
時代と共に港町として発展し、戦国時代の永禄9年(1566年~)には、大名の小田原 北条氏から魚類や船運業の集散地として手厚い保護をうけ、江戸時代(1600年~)には幕府公認の港として、相模国(神奈川県)の穀物と資材等を江戸や千葉の房総半島へ運搬する海運業の要所として栄えました。 当神社も港町の総鎮守(そうちんじゅ)として、住民や魚商業、回船業の方々から厚い崇敬の念を集めました。
特に大山など山岳信仰が盛んになると、江戸や伊豆、房総半島から大勢の旅人が船で須賀港に寄港し、当神社に参拝し、道中の安全と心身の守護を祈願する慣わしがありました。 現在も、港町の総鎮守として「明神さま」「湘南のえびす様」の御名で親しまれ、お店や会社の「商売繁昌」、家庭の「家内安全」など家庭円満や目標達成をもたらす神社として多くの方々から厚く信仰されてます。 また、近年では「湘南ひらつか七福神」の一社、「開運のお宮」として広く遠方の方々がご参拝になられてます。 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
概要 | 三嶋神社(みしまじんじゃ)は神奈川県平塚市夕陽ヶ丘に鎮座する神社。別名「湘南のえびすさま」。 |
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歴史 | 歴史[編集] 平安時代に伊予国大三島の大山祇神社(伊予三島社)を勧請し創建という[1]。周辺には河野姓の分布も見られる。平安時代の別当寺長楽寺の古文書に「薬師、三嶋明神の本地仏なり」の記録がある。 永禄9年(1566年)には小田原北条氏の保護を受けた。江戸時代には、伊豆、安房の住人を始め、海路の大山詣ででは平塚須賀港で上陸すると、当神社に道中安全を祈願する習わしであった[2]。 天保12年(1841年)成立の新編相模国風土記稿時点では、主祭神を大山祇神とし、相殿に貴船山王[3]。末社として、金比羅、淺間、熊野、稲荷、辨天(弁天)、不動堂、石二王があった[4]。 明治の初め伊豆三島神社(現...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 1月第3日曜日 - 新春えびすまつり 福笹が授与され、この招福縁起物一年間飾ることによって開運招福を導くとされる。また特設舞台からの福男・福女による福餅まきが行われる。 3月27日 - 里神楽祭(境内社伊邪那岐社) 7月第3土曜日,日曜日 - 例大祭(須賀のまつり) かつては須賀千軒と言われるほど賑わった須賀の町の祭り。盛大に行われかつては7日~12日までといつまでも続けられたため、「須賀の入梅祭り」「須賀の長まつり」と言われ、5台の山車を先頭に御輿が浜入りを行った。その後深夜三嶋神社に還った。 現在は大御輿を中心に2日間各町内を渡御した後浜降祭、子供達のパレード、山車太鼓...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「三嶋神社 (平塚市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E5%B6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%B9%B3%E5%A1%9A%E5%B8%82%29&oldid=101551912 |
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