みょうらくじ|天台宗|長尾山
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楽しみ方妙楽寺のお参りの記録一覧

通称あじさい寺として有名な、天台宗のお寺。
仏像は、室町時代に作られた薬師如来と日光菩薩・月光菩薩の三尊蔵を所有しているそうで、公式のつぶやきをみると、年一度の薬師護摩供養の時に、御開帳があるそうです。2023年は10月10日の午前中のみ。

あじさいの道を抜けて、山門へ

手水にもあじさい!素敵だー

立派な本堂

欄間?の彫刻。細かい・・


あじさい越しの鐘楼。

駐車場脇のあじさいも見事。

いろんな種類と色。

青が好き(聞いてない)

長尾の「あじさい寺」の名で知られている天台宗のお寺さんにお参りしました😊今の時期は紅梅がきれいです💓
山門前や本堂横を中心に、境内には1,000株を超すアジサイが植えられ、花期は色とりどりの大輪の花で埋まり、周囲の木々の緑と絶妙のコントラストが楽しめる。
鎌倉幕府の草創期に源頼朝の弟の全成が院主を務めた威光寺と関係が深いといわれる由緒のある寺で、木造薬師如来両脇侍像は市の重要歴史記念物に指定されている。
アジサイのほか、梅や桜、ボタンなど四季の花が楽しめる。



閻魔堂✨


鐘楼堂✨


薬師堂✨



六地蔵像✨

山門✨

境内✨

本堂✨







御朱印は書き置きのみです😊

東急花御朱印2〜川崎市多摩区にある妙楽寺に参詣。あじさい寺として有名で前回来た時はあじさいが満開で多くの人が訪れていた。東急花御朱印は書置きでいただきました。

妙楽寺〜入口

妙楽寺〜山門

妙楽寺〜本堂

妙楽寺〜提灯🏮

妙楽寺〜薬師堂

妙楽寺〜鐘楼

妙楽寺〜東急花御朱印

妙楽寺〜閻魔堂

23.06.21。JR南武線「登戸駅」生田緑地口よりコミュニティバス(あじさい号)で約15分、「あじさい寺」下車すぐ。川崎市多摩区長尾3丁目の住宅街にある天台宗の寺院。
別称《あじさい寺》
山号 長尾山
院号 薬王院
創建 仁寿年間(851〜854)
開基 伝・慈覚大師 円仁
本尊 阿彌陀三尊
札所 関東百八地蔵尊霊場
第八十三番
【縁起】当寺ご参拝の栞より
創建は定かではないが、中興開山の乗珍和尚が寛文12年(1672年)入寂しているので江戸初期とされる。現在の本堂は須弥壇裏側に天明八年(1788年)再興の銘があり、二百年は経っていると思われる。
鎌倉幕府開府の頃、源氏累代の祈願寺として威光寺という寺院があった。仁寿年間(851〜854)に、慈覚大師 円仁によって創建されたとされる。源頼朝は弟の全成を住職とし、源氏の為に祈祷に励むよう命じた。源氏が滅亡するとその姿を消したといわれる。
〜『吾妻鏡』他〜
川崎市の紫陽花の名所ということで参詣。見頃であり、多くの人々で賑やかでした。境内では写生をされている年配者が何人もおられました。又見所もあり良きお寺さんでした。


寺号標




閻魔堂
↓




十三重石塔


鐘楼方向

梵鐘

秩父・坂東・西国の日本百観音と四国八十八ヶ所霊場巡拝記念碑。


六地蔵

山門前左側に薬師堂
↓



山門

マニ車〜山号額

水屋
↓



宝篋印塔

満願地蔵尊

本堂
↓




庫裡方向
こちらで書き置きの御朱印を拝受しました。



墓地方向

歴代御住職のお墓

ニャンコと遭遇。

墓地入り口に

墓地から薬師堂を見下ろす。

薬師堂裏手から紫陽花群生地へ向かう。
↓












駐車場にノーゼンカズラ


あじさい寺で有名な妙楽寺に参詣。あじさい祭りは6/19だそうです。およそ1000株のあじさいは見頃でたくさんの方が訪れていました。
御朱印は書置きのものをいただきました。


山門


東急花のご朱印


入口

本堂

あじさいと鐘楼

鐘楼とあじさい

六地蔵

閻魔堂




本堂とあじさい


かわさき紫陽花散歩 1
JR南武線久地駅もしくは登戸駅からコミュニティーバスにておよそ10分。
小高い丘の上にある天台宗寺院で、元々源氏代々の祈願寺だったそうです。
境内には20種1000株の紫陽花が6月下旬から7月中旬にかけて咲きます。
水々しい緑に鮮やかな色を放つコンストラクトは鮮やかとしか言えません。


閻魔堂です。


駐車場に沿って紫陽花が咲いていました。



薬師堂です。


本堂です。

ここから左手に入ると紫陽花の山になります。





墓地へ向かう細い段を上ると紫陽花の回路に見渡せます。


さまざまな紫陽花が群生しています。





庫裏の前。御朱印は書き置きにていただく事ができます。

天台宗妙楽寺は、多摩川を眼下に見下ろす長尾丘陵の一角にあります。
最近の研究によれば、同寺は中世初期に存在し、『吾妻鏡(あづまかがみ)』に登場する源家累代の祈祷所(きとうじょ)であった威光寺(いこうじ)との関連が指摘され、注目をあつめています。
源頼朝は、鎌倉幕府草創期に弟の全成(ぜんじょう)を威光寺院主として派遣し、所領を安堵(あんど)するなど同寺を厚く保護しております。これは、幕府の所在する鎌倉の外郭(がいかく)の境界線として、多摩川とその右岸丘陵の軍事的位置を重視したためと考えられます。
しかし、幕府の滅亡によって、威光寺も次第に衰微したらしく、応永12(1405)年8月の梵鐘鋳造(ぼんしょうちゅうぞう)の勧進(かんじん)に関する記録を最後として、史上から姿を消し現存しません。ただし、この勧進文には「武州立花郡長尾山威光寺」の表記があり、『吾妻鏡』以来長尾の丘陵に存在したことが確認されます。
妙楽寺の土蔵に安置されている木造薬師如来両脇侍像(やくしによらいりょうわきじぞう)(市重要歴史記念物)を修理した際に、日光菩薩像の胎内から天文14(1545)年の紀年と、「武州立花郡太田郷長尾山 威光寺」以下の墨書銘が発見されました。このことにより、16世紀中頃にも威光寺が存在していたこと、同寺のある地域が太田郷といわれていたこと等が判明しました。また、これらの仏像が妙楽寺に客仏として伝世していたことから、威光寺と妙楽寺との間の因果関係が推定されることになりました。
かつて広い寺域を占め、幾つかの坊や付属寺院を擁していたであろう威光寺も、上述のように有力壇越(だんおつ)を失い、かろうじて残された上記仏像も、いつの頃か妙楽寺に移されたものと推定されます。妙楽寺あるいは威光寺の一坊であったのかもしれません。
同寺付近には、別所、堀の内、竹の沢等の中世地名や、五輪塔や板碑が伝世し、渥美(あつみ)製大形甕(かめ)の一部が出土するなど、中世的な色彩を色濃くとどめており、ありし日の威光寺の姿を投影しているかのようにみえます。
























東急花御朱印シリーズ 8
東急田園都市線「梶ヶ谷駅」より「切通し上」バス停下車徒歩15分。
天台宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。
元々は源氏の祈願所として創建されたが、「川崎のあじさい寺」として知られています。
オフシーズンに入りましたが、石仏たちは静かに境内を見守っていました。


境内入口のお地蔵さんも「インフルエンザ」対策です。


閻魔堂です。


境内の丘にかけては、ピンクや白、紫色のあじさいが鮮やかに咲き誇ります。


薬師堂です。




あじさいシーズンの6月の賑わいが静寂へと変わります。



本堂です。



本堂前の庭、裏手の丘にもあじさいが咲きます。
今はシーズンまでの一休み。

庫裏にて御朱印をいただきました。
早いもので11月も間近、ウサギ年もあと少し。

いただいた御朱印です。
あじさい寺らしく、ワンポイントが入っていました。
神奈川県のおすすめ3選❄️
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