かわさきだいし(へいけんじ)
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川崎大師(平間寺)ではいただけません
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川崎大師(平間寺)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年09月25日(日)
参拝:2022年9月吉日
22.09.22。京急大師線「川崎大師駅」南口より徒歩8分。川崎区大師町4丁目にある真言宗智山派の寺院。《厄除弘法大師》
寺格 大本山
山号 金剛山
院号 金乗院
寺号 平間寺(へいけんじ)
創建 大治3年(1128年)
開山 尊賢
開基 平間兼乗(ひらまかねのり)
本尊 弘法大師空海上人の御尊像
札所 関東八十八ヶ所霊場
特別霊場
玉川八十八ヶ所霊場
第一番
新四国東国八十八ヶ所
霊場第一番
関東三十六不動尊霊場
第七番
武相二十八不動尊霊場
第一番
東海三十三観音霊場
第三十三番
【寺院紹介】
大治年間、尾張の武士、平間兼乗は無実の罪で故郷を追われ諸国を流浪した末に川崎の地にに住み漁師となり暮らしていた。信仰深い兼乗は弘法大師に篤く帰依していた。
ある夜、夢枕に大師があらわれ「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、海上に放ちしたことあり、いまだ有縁の人を得ず、いま汝すみやかに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ばせば、汝の災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げたという。兼乗は早速海に出て網を投げると海中より一体の木像を引きあげた。それは弘法大師の尊像であった。
兼乗は不思議なご縁をよろこび草庵を結んで尊像を安置し、日夜供養をおこたらなかった。高野山の僧•尊賢が諸国巡錫の折、たまたまこの草庵に留まり尊像を拝して感泣し、自ら開山となり兼乗と力を合わせ、大治3年、堂宇を建立し尊像を奉安して兼乗の姓をとって平間寺とした。
(Webサイト関東八十八ヶ所霊場より)
毎年初詣客の多さで知られている、全国的にも有数の寺院である川崎大師さんへやっと参詣できました。流石に見所満載で2時間近く境内を歩き回りました。
寺格 大本山
山号 金剛山
院号 金乗院
寺号 平間寺(へいけんじ)
創建 大治3年(1128年)
開山 尊賢
開基 平間兼乗(ひらまかねのり)
本尊 弘法大師空海上人の御尊像
札所 関東八十八ヶ所霊場
特別霊場
玉川八十八ヶ所霊場
第一番
新四国東国八十八ヶ所
霊場第一番
関東三十六不動尊霊場
第七番
武相二十八不動尊霊場
第一番
東海三十三観音霊場
第三十三番
【寺院紹介】
大治年間、尾張の武士、平間兼乗は無実の罪で故郷を追われ諸国を流浪した末に川崎の地にに住み漁師となり暮らしていた。信仰深い兼乗は弘法大師に篤く帰依していた。
ある夜、夢枕に大師があらわれ「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、海上に放ちしたことあり、いまだ有縁の人を得ず、いま汝すみやかに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ばせば、汝の災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げたという。兼乗は早速海に出て網を投げると海中より一体の木像を引きあげた。それは弘法大師の尊像であった。
兼乗は不思議なご縁をよろこび草庵を結んで尊像を安置し、日夜供養をおこたらなかった。高野山の僧•尊賢が諸国巡錫の折、たまたまこの草庵に留まり尊像を拝して感泣し、自ら開山となり兼乗と力を合わせ、大治3年、堂宇を建立し尊像を奉安して兼乗の姓をとって平間寺とした。
(Webサイト関東八十八ヶ所霊場より)
毎年初詣客の多さで知られている、全国的にも有数の寺院である川崎大師さんへやっと参詣できました。流石に見所満載で2時間近く境内を歩き回りました。
川崎大師駅前
仲見世通り
寺号標
大山門
参道
お水屋
大本堂
経蔵
↓
↓
経蔵の裏手に
聖徳太子堂
↓
↓
祈りと平和の像
不動門
参道
鐘楼堂
↓
↓
八角五重塔
遍路大師
不動堂
↓
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福徳稲荷堂
↓
西解脱門
大本坊
第55代横綱 北の湖敏満之像
つるの池
↓
↓
やすらぎ橋
↓
↓
降魔成道釈迦如来像
日本百観音霊場お砂踏み参拝所
釈尊像
薬師殿
↓
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薬師瑠璃光如来像
なて薬師
至真門
弘法大師御影
玉川八十八ヶ所の御朱印と一緒に拝受しました。
玉川八十八ヶ所の御朱印と一緒に拝受しました。
この表紙•御影•御朱印の3点で200円。
大本堂手前右手の護持志納金受付所で拝受できました。
大本堂手前右手の護持志納金受付所で拝受できました。
すてき
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こばけん1121投稿
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